暗渠散策編・目次はこちら。
さて次は近場、
東京都杉並区の讃岐うどん屋さんを二軒紹介します。
なんて書き出しで始めようと思ったんです。
讃岐うどんの記事、中野区、杉並区、北区、宮前区辺りを考えていて、
なにぶん気軽に一人で食べ歩いてるわけで、
スケジュールとか考えてないので、なかなか進まない。
ずるずる延び放題です。うどんだけに。
讃岐うどんの記事、中野区、杉並区、北区、宮前区辺りを考えていて、
なにぶん気軽に一人で食べ歩いてるわけで、
スケジュールとか考えてないので、なかなか進まない。
ずるずる延び放題です。うどんだけに。
杉並のうどん屋さんで美味しそうなうどん屋さんがあったので、
歩いていこう、と。ついでに見れる暗渠がないかなと探してみました。
以前の高円寺川(仮)リベンジ!の時に気になっていた、
高円寺川(仮)の東側にある谷。たかはら支流(仮)。
杉並区の「杉並区史跡散歩地図(全図)」や、
「杉並の川と橋」にも記述があります。
nama様もレポートされております。秀逸です。
たかはら支流(仮)の命名もnama様。
とはいえ、いつも通り上記の資料はほとんど読まず、
大体の源流の場所だけ見て、
あまり下調べもせず現地へ行き、
iPhoneの素敵アプリ東京時層地図辺りを眺めながら、
アドリブで散策しましたw
まあ、この川は時層地図には載ってないですけどね。
大体毎回アドリブでブラブラして、資料を調べたりするのは、
家に帰ってこうやってBlogの記事をまとめることが多いみたいな感じです。
そんな感じで、結果としてこういう感じの経路をたどりましたよ。
より大きな地図で 桃園川のたかはら支流(仮) を表示
本文や写真と地図を見比べながら、色々ご想像くだされ。
地図やアプリだけではわからない、驚愕の展開を見せる暗渠です。
すばらしい。
ということで、杉並区関連の資料を見ると、
源流は「たかはら公園一帯」ということになっております。
このたかはら公園のあたりは低地になっており、
通称「谷」と身も蓋もない呼ばれ方をされていたそうです。
現代のたかはら公園の場所に青い丸を書いて、
フォトショップのレイヤー機能を利用して、
各年代の同じ場所同じ縮尺の地図に重ねてみます。
区境とか、いまとちょっとずれてたのかな。それともアプリ的な問題か。
とくに古い時代ほど北のほうへ谷が延びています。
谷頭はたかはら公園より、もう少し北かも。
この辺も歴史が色々ある地域で、生類憐みの令とか陸軍中野学校とか、
興味深い土地ではあるのですが、とてもロングストーリーになるので、
ここではあえて触れませんw
興味深い土地ではあるのですが、とてもロングストーリーになるので、
ここではあえて触れませんw
明治初期の地図では、長方形に谷間ができていて、
一帯が水源とのことなので、湿地帯みたいになっていて、
その辺から沸いたり沸かなかったりしていたのかな、と。
また、甲武鉄道施設工事用土を掘り出したところがあり、
そこから湧水がおき、池ができたという風に、
杉並の川と橋には記述がありました。
地図の凡例もよくわからない感じで、明治の末期から大正にかけて、
不思議な場所に不思議な円形があります。緑色のはてな。
池?高台?ここは池だと思い込みたいw
この辺に甲武鉄道が敷かれたのが明治22年。
その時の池じゃないかなと想像するのですが、想像でしかありません。
ここがその池だとしても、その前から「谷」はあったみたいですし、
源流かどうかはわかりませんが、
ここから水が流れていた時期もあったらロマンティック。
ちなみに、現在はとくに池の痕跡らしきものはなさそう。
埋められちゃったのかもね。
不思議な場所に不思議な円形があります。緑色のはてな。
池?高台?ここは池だと思い込みたいw
この辺に甲武鉄道が敷かれたのが明治22年。
その時の池じゃないかなと想像するのですが、想像でしかありません。
ここがその池だとしても、その前から「谷」はあったみたいですし、
源流かどうかはわかりませんが、
ここから水が流れていた時期もあったらロマンティック。
ちなみに、現在はとくに池の痕跡らしきものはなさそう。
埋められちゃったのかもね。
この辺、井戸が多いです。
電動のものも多数ありましたし、HDS型ドラゴンなどもありました。
谷があったと言うことは川があったのでしょう。
昨今の地下水不足ブームで川がなくなり、
でも水の沸きやすい地形なのかもしれません。たぶん。
みたいな感じでひとつ北のブロックの外周を歩いていると、
いかにも古い川の護岸に使われそうな石が積んであるのを発見。
よもやと思ってその奥を見てみると、
家と家の間に不自然なスペースがあります。
iPhoneを差し入れて、撮影してみるとこんな感じ。
標高図的に見ても、これ以上高低差があるような場所が見当たりません。
源流ではないが最上流(小沢川パターンw)かもしれませし、
先述の不思議な円形が源流なのかもしれません。
でも色々な資料を見ると、たかはら公園説が濃厚な気がしています。
たかはら公園の一つ北のブロックの北端がこんな感じなので、
ここからたかはら公園までこんな感じだろうと思ったら案の定。
上流側、「災害時井戸協力の家」と書かれたオレンジ色の札の脇には、暗渠!
そして、その先には開渠!振り向くと下流側も暗渠!すばらしい!
と、その暗渠はブロックの中央を割るように進んで行き、
たかはら公園へと進みます。紅葉きれいですね。
公園の結構南(下流)側まで、
民家との間にスペースが開いていて、そのスペースが切れた場所の、
公園側に、いかにも何か水が関係ありそうな施設があります。
案外ただの用具入れみたいな気もしないでもないですw
でも怪しいマンホール。
それから、消防用の貯水槽みたなのも埋まってるみたいです。
いつも疑問に思うんですけど、水源らしき場所に公園あったりしますが、
消防用の貯水槽とかが埋まっていることも多いですよね。
水の沸きそうなところにコンクリの槽かなにか埋め込んでるんでしょうか。
消防用の貯水槽とかが埋まっていることも多いですよね。
水の沸きそうなところにコンクリの槽かなにか埋め込んでるんでしょうか。
重くて沈んだりしないのでしょうか。
まだまだ解らないことだらけです。精進せねば。
まだまだ解らないことだらけです。精進せねば。
まあでもなんとなく、
たかはら公園が水源でもいいかもって気もしてきました。
そんなライトなノリで、たかはら支流(仮)は桃園川へ向かって流れ、
中央本線を超えます。
たかはら支流(仮)の辺りが谷になっているのがよく解ります。
ここからなんとなく「高円寺川(仮)みたいな展開になるのかな」と、
あと500mくらいだからと考えていた私は、大きく裏切られます。
なるほどなるほど。こういう感じで続くのね...
なんだこれw
暗渠は河川で原則国有地。
勝手に活用できないから道にするしかない。で、行き止まり。
どうしようもないのは解るけど、もうちょっと器用に覆い隠せなかったのかしら。
勝手に活用できないから道にするしかない。で、行き止まり。
どうしようもないのは解るけど、もうちょっと器用に覆い隠せなかったのかしら。
この下流もまた、面白暗渠が素晴らしすぎます。
その後も民家の合間を縫うように、場所場所ごとで様々な様相を見せます。
まあ国有地で勝手に使えないとはいえ、家の脇にデッドスペースがあると、
そこから不審者が入り込んでしまうかもしれないので、
勝手にふさいでる場合も多いようです。
しかし、
暗渠の写真を撮る者は不審者ではないので侵入させて欲しい。
切実。
暗渠の写真を撮る者は不審者ではないので侵入させて欲しい。
切実。
暗渠と言えば銭湯。ここにも銭湯がありました。谷中湯。
しかし銭湯部分はとうに閉めており、先月末コインランドリーも終了したそう。
後片付けをしている人がいたので、事情を話して、暗渠を見せてもらいました。
銭湯の暗渠との合流部分と、番台からの景色は一度見てみたかったんだよね。
「ちょっと撮らせてください」くらいの間だったので、
じっくりは観察できなかったけれども。
これも面白いなぁ。無くなっちゃうのかな、ここ。
次のブロックも、ちゃんと暗渠は続いていてます。
ゴミ収集所のベニヤ板の後ろです。
暗渠散策を始めて二ヶ月。だんだん暗渠散策に慣れてきて、
今ではベニヤ板くらいは壁抜け出来るようになりましたよ、お母さん。
この期に及んで開渠かよ!すごいなぁおい......
なんか川を管理する側に統一された意思が無い感じ。
千と千尋のハクもこうやってつらい目にあったのかしらね。
と思うと、その一つ東の路地もおかしなことになっています。
ちなみにこのマンホールに関してはこの記事でも記述しています。
隣の暗渠のことを知らなかったら、絶対ここ川の跡だって思うよね...
それともここにも何がしかの暗渠があるのでしょうか。謎。
さて、先ほど開渠になって、でもまたどこかで蓋がされた様子。
おお、これは小さいながらも橋の遺構ではありませんか。
工事の雑さもまた味があって素敵です。
ということで、その後もまた開渠になったりバイク置き場になったり。
本当に見ていて飽きない。面白みのありすぎる暗渠。
旧中山谷下橋跡で、桃園川に合流いたします。
あんまりにも濃厚。あんまりにも充実。驚愕。
短距離でこれほど表情を変える暗渠、まさに大スペクタクルロマン。
ちょうど日も暮れたし、ぐったりしたので、この辺で。
でもまた歩きたい暗渠でした。
見落とした橋の遺構があったらしいです。ベニヤ板の下?
要リベンジ!
それともここにも何がしかの暗渠があるのでしょうか。謎。
さて、先ほど開渠になって、でもまたどこかで蓋がされた様子。
おお、これは小さいながらも橋の遺構ではありませんか。
工事の雑さもまた味があって素敵です。
ということで、その後もまた開渠になったりバイク置き場になったり。
本当に見ていて飽きない。面白みのありすぎる暗渠。
旧中山谷下橋跡で、桃園川に合流いたします。
あんまりにも濃厚。あんまりにも充実。驚愕。
短距離でこれほど表情を変える暗渠、まさに大スペクタクルロマン。
ちょうど日も暮れたし、ぐったりしたので、この辺で。
でもまた歩きたい暗渠でした。
見落とした橋の遺構があったらしいです。ベニヤ板の下?
要リベンジ!
9 件のコメント:
まってましたー!
臨場感ありありで、すごいいきおいで頷いてしまいましたww
橋の遺構、ぜんぶおさえられている気がしますよ・・・?それから銭湯の裏潜入、貴重ですねー。良いもの見せていただきました。
それと、うどん屋さん。わたしが思い浮かべているのと、同じうどん屋さんなのならば・・・うーん、言わないでおきましょう。レポ待ちしますww
ここ、私も行ってみたんですけど、夕方で薄暗くて全然ダメでした。
でも相当に面白い所ということだけは分かりましたよ。
「一つ東の路地」に見えるマンホールは、端っこがくっついている「真性おしくらマンホール」に見えますが、違いますでしょうかね。
> nama様
散策から帰ってきて、nama様の記事もじっくり読ませていただきました。もちろん同じ川を散策して同じような資料をみて記事を参照して書いているので、多少似た記述になるのはお許しください。
うどん屋、高円寺川(仮)のそばの。古い知人がプッシュしておりましたので、どうかな、とw
> 猫またぎ様
ほんと、面白かったです。こんなの初めてです。あまりレポートされていないのが不思議なくらいです。
真性ではなく仮性ではないでしょうか。(怪しいw) ギリ離れている気もしないでもないです。
namaさんの記事でも凄いなあと思っていたのですが、やっぱり凄いですねえ。よくもここまで無秩序な。。。
北区のうどんは前に十条にあったところでしょうか?
それほど沢山の暗渠を見てきたわけではないのですが、その経験の中でもここは、凄かったです...
十条にあって、今は赤羽へ移ったあのお店です。十条にあった頃は通っていたのですが。
ここ、なんかインディジョーンズ気分になれるすごいところですよねw
真性か仮性(<いえ、私は「もどき」と呼んでいるのですがw)かですが、
現地ではいちおう仮性(<だから「もどき」w)と判断させていただきました。食い込みなかったので・・・。でもこの写真だと真性にみえますねw もういちど行ってしらべてみます!!
ちょっとしたアドベンチャー気分で散策いたしました。まったくもって面白暗渠でございました。
仮性だった気がするのですが、徒歩でも行けるところなので、私もうどんがてらに行ってみたいと思います。
はい、輪郭に食い込みあらば、真性ということでw
なるほど輪郭に食い込み...そういわれると、真性なのかも......要確認ですね。
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