2011年5月9日月曜日

2011年の御囲い@中野

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まだまだ復帰戦が続きます。
間違い等があったらご指摘くだされ。

ということで、5月8日。
暇なので中野の犬屋敷跡を見に行くことにしました。
中野の?犬屋敷跡?なんなの?舐めてるの?ぺろぺろ、
という感じなので、まあおいおい説明します、が。

その前に、中野丸井で地ラムネを売っているという話。
地の物、楽しまないといけませんよね。
「ラムネとサイダーって何が違うのですか?」
「サイダーの方が炭酸が強いです。すっきりしますよ?」
という謎の問答の後、サイダーを購入。100円とか105円とか150円とか。

東京都中野区新井にある東京飲料さんが作成している、
ラムネ屋さんのサイダー。確かにスッキリ強炭酸。
キンキンに冷えているし、ほのかな甘み。美味しい。また飲みたい。
妙正寺川の河畔で作成してるだけあって、妙正寺川の香りがします(嘘)

撮影した場所は、中野丸井の庭。ビオトープがあって素敵。
我が家のベランダからこのビオトープが見えるので、
もしかしたらこのビオトープからも我が家が見えるのかなと思ったら、
やっぱり見えて、ちょっとげんなりw


南口↑ 中野駅 ↓北口


さて、私が長町病院第二分娩室で産まれる前のこと(適当)
第5代将軍徳川綱吉が動物の殺生を禁止する法令を制定。
詳しくはウィキペディアの生類憐れみの令を見ていただくとして、
幕府が野犬を保護して、でっかい犬小屋に収容しました。もはや犬屋敷。
その犬屋敷のあった場所、中野にもありました。
御囲い。元禄8年、1695年に作られた犬屋敷。
ウィキペディアによると、一説では、その数おおよそ8万匹とか。


より大きな地図で 御囲いNOW を表示
(二ノ囲から四ノ囲の辺りですね。一ノ囲と五ノ囲は中央本線の南側になります。)

中央本線、中野通り、早稲田通りに挟まれた地域。
中野サンプラザや中野区役所、警察署や警察病院のある区域。
うっすらと四角く囲われた広大な場所が見えないでしょうか。
その辺が、御囲い、巨大な犬屋敷のあった場所です。
その後、まとまった広大な土地があるとのとで、
軍関係の施設や警察関係の施設が作られていくことになります。
iPhoneの素敵アプリ、東京時層地図で中野駅周辺を見てみましょう。

昭和の初期など、この近辺は「中野区囲町」と名づけれれてました。
現在でも中央本線を渡って私の住む桃園地区(旧地名)へ渡る高架橋などに、
囲なんて地名の残りが見えたり見えなかったり。

有名な陸軍中野学校なんかもこの辺ですね。

わんわん。

この辺のライオンズクラブの人が作ったという、
記念の犬の銅像なんかもあったりします。区役所の脇です。

杉並区在住の暗渠のお師匠さんとも言えるK師曰く、
ここでの犬の大量の糞尿をアレして、火薬を作り、
大久保通りを通って百人町などの鉄砲隊で使ったのではないかとか、
そういうお話というか仮説をなさっておりました。
その際、8万匹もの犬が生活する際の水、
排水はどうしていたのか、気になるところです。
中野駅の北側の地域、区役所周辺は、
かなり水が湧きやすい土地柄だったらしいということも教わりました
(nama様のこの辺の記事もあながち参考になります。)

区役所付近から湧き出した水はどこに流れて言ったのかという話は、
この後の別の記事で書くとは思いますが。

ところが、御囲いの東側、北側は開発が進んでいて、
本来の地形など跡形もないようです。そりゃそうだ。
一応、御囲いの南側や西側に回ってみると、
手押し式ポンプがいくつか見受けられます。三つくらい見つけました。

電動の井戸もいくつかあったので、水はだいぶ湧くのかもしれません。
中野区の暗渠散策として、
御囲いの水周りは大きなポイントになりそうです。
今後も新情報があれば更新していきます。

あとは、中野ブロードウェイが建築される前にあった銭湯、
文化湯の排水がどの川に行われていたか?
新井薬師さんは上高田支流の源流になっていた?
みたいな事も追いかけていきたいな、と。

そうそう、御囲いの近くを流れる川の一つ、
たかはら支流、近隣のアパートが工事中のおかげで、
最上流のすぐそばまで行けました。

最上流は護岸されてないのですね。
イモリだかヤモリが沢山いました。それなりの湿度。
それにしても、たかはら支流も御囲いの中から流れてたりしないかな。



中央本線の南側に住んでいる私にはちょっと新鮮だった、
中央本線北側の裏路地など、住宅街の散策。
御囲いの東側北側の中野サンプラザや警察関連施設など、
巨大で近代的な建築なども見て面白いものがありますが、
南側西側の小さな路地などを巡っても面白いものでした。

この後、谷戸川または天神川の最上流の場所や、
GPSを見ながら谷戸となる等高線沿いに歩いてみたりしてると、
Twitterで友人が近所でつけ麺を食べているとのこと。
合流して、んでは暗渠にでも行くかと、上高田支流を下り、
新宿まで行きベルクでビールを堪能して、帰宅したとさ。

谷戸川または天神川、上高田支流の話はまた、
別の記事で書きたいと思います。

また、当時の中野の様子を窺い知る一つのヒントとして、
以下の記事もご参照ください。
中野駅周辺の暗渠の源流地点特集!御囲い目線でまとめ!
犬が生活する上での水、排水はどうなっていたのでしょうか。

んがんぐ。

2 件のコメント:

nama さんのコメント...

ご紹介ありがとうございます。
たかはら支流(仮)も、蛇窪支流(仮)も、最上流部(近く)まで入れたなんてうらやましーです!これからの季節はもっと草が生い茂り、、、最上流部踏破は罰ゲームみたいになっていきますよねきっと。。とても良い時期に行かれましたね~。

味噌max さんのコメント...

いつも参考にさせていただいてます、色々。
たかはら支流(仮)と蛇窪支流(仮)は本当にラッキーでした。季節的なものとかが重なって偶然です。梅雨に入ったり夏になったりだと、最上流部は厳しいですね...でも今なら二箇所とも大丈夫だと思いますよ!nama様もチャレンジです!