あと写真はクリックすると大きくなりもうす。
それから、私の妄想をソースにした記事なので、
あまり真に受けないでもらいたい。
今日、
中野の歴史民俗資料館行ったんです。歴史民俗資料館。
そしたらなんか人が全然いなくて貸しきり状態なんです。
で、よく見たらなんか中野の歴史とかって、
色々ディスプレイされたりとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
昼間からな、なんか暗渠の資料でもあるかとか思って、
普段来てない資料館なんかに来てんじゃねーよ、私。
入場無料ですよ。勉強になりますよ。
なのに親子連れとか子供とかいないし。
おとな一人で資料館か。
おめでてーな。
中野の歴史民俗資料館行ったんです。歴史民俗資料館。
そしたらなんか人が全然いなくて貸しきり状態なんです。
で、よく見たらなんか中野の歴史とかって、
色々ディスプレイされたりとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
昼間からな、なんか暗渠の資料でもあるかとか思って、
普段来てない資料館なんかに来てんじゃねーよ、私。
入場無料ですよ。勉強になりますよ。
なのに親子連れとか子供とかいないし。
おとな一人で資料館か。
おめでてーな。
ということで、思ったような資料もなく、近所でラーメンを食べ、
さてどうしようかなと。
ブラブラしながら考えてみたのですが、
そういえば気になる場所があったな、と。
今回は青い楕円の場所。これまたきれいな谷。
中央を南北に蛇行しながら東に流れる妙正寺川。
高低差的に、左下で丸くなっている場所はここで記事にしました。
右下でYの字みたいになっているのは、ここで記事にしました。
とりあえず、いつもボーっと眺めていたのです、この付近の地図。
だって怪しいしね。地図上の北原小の北側あたりの道とか、超怪しい。
そのあたりから等高線に沿って妙正寺川まで、谷あいに沿って、
暗渠感かもしだれまくりのクネクネした道が続いてる。
より大きな地図で 妙正寺川野方沼袋支流 を表示
でもねぇ。
いつもの東京時層地図を見ても、
図書館でコピーさせてもらった古地図を見ても、
明治初期から今日まで、
「これは川です!」って描写が見当たらない。
ちょっとまあ、気にはなっていたわけだからね。
モヤモヤするくらいだったら、近くまで行ったのだから、
現地で見てみましょ。
妙正寺川の南側を、西へ遡りながら歩いていると、
平和の森公園の対岸あたりで、ちょうどそれっぽい合流口がありました。
それっぽいとか言っていてもダメな気もしますがw
合流口は、覗ける範囲で、うっすらと右に曲がり、
ちょうどその上の道路と同じ角度に。
その上の道路、川沿いの道路より一段低くなっており、
車なども通れず、暗渠を感じさせる雰囲気も醸し出しています。
では、ここから谷間の一番低いであろうところを探して歩きつつ、
その周りもウロチョロしながら、進んでいきます。
地中に埋まった石や円柱形の何か。
橋の遺構だったらいいな、みたいな。
ブロック塀で間を区切られてるけど、同じ距離、同じ進路の道があるとかね。
そういう面白ポイントは満載なんです。たぶん左側かなぁ。
道すがら、お年寄りに話を聞いてみたのです。
確かにここに川はあったそうです。でもだいぶ昔のこと。
そのお年寄りがこの近辺に来たころにはもうなかったそうです。
いくつかの時代で作り足されたブロックの集合体とか、
鳩に関する法律とか、暗渠を思わせるポイント満載です。
しかも、暗渠を思わせるポイントって、他にはアレです、例えば…
そう。銭湯とか。でも、その理由がよくわからない。
たぶん銭湯の排水は先述のプールと違って、下水道にするはず。
でも下水道がない時代は、たぶん側溝とかに排水してただろうし。
あと、もしかしたた低い場所のほうが地下水を吸いだしやすいとか、
そういうことがある気もしないでもないですが、ちょっとよく調べてみたいです。
この銭湯、朝日湯は今でも営業してるのかしら。
通りに面した所はコインランドリーを営んでいました。
そういえば暗渠近辺にはコインランドリーやクリーニング屋が多い気も。
排水に関して決まりがあるのかな、そう考えると。
いや、もしかしたら銭湯 → コインランドリーのジョブチェンジが容易なのかな。
わからない。その辺も今後調べることもある気がしないでもない。
あと、よくみかけるものは、学校。ここでは中野区立北原小学校。
学校の裏門?なんか不自然すぎる気が……
で、学校といえばプール。プールの排水は先述の通り。
それから、暗渠上は国有地。まとまった土地活用もできないし、
その周辺は開発しにくいでしょうし、
まとまった大きな敷地が必要な学校のような場合、
暗渠上などを利用されることが多いとか何とか。
それと、プール。
猫。斎場(火葬場)などが多いかも。
学校を過ぎると、道路の脇の怪しい緑地に、
側溝のようなものが見えます。
これが連続した暗渠だとして、もうここまで細くなってる。
終わりはもうすぐ感もひとしお。
民家の間を縫うように、
細い不自然な側溝のようなものが見え隠れします。
この辺で終わるのかも。
歩いてみた感じ、この近所に公園があって、
その辺りから谷が始まっている気もしますが。
これより北に行くと新青梅街道。その向こうは江古田川。
体感では、分水嶺は新青梅街道より十数メートル南側。
暗渠感はたっぷりなのですが、じゃあそこに川があるのかい?
地形が作られるくらい長いスパンの中では、
湧水があって川があって谷間を作ったのでしょうけど、
人がこの辺を利用するような頃には具体的な川というものはなくて、
谷間に沿ってできた排水溝やどぶ川の積み重ねが、
今回のように一つの暗渠をたどってるように見えるのかな、と。
そんな電波を受信いたしました。
本当にあったらごめんなさいw
怖いので、下水道台帳は見てません(笑)
電波ついでに。
この暗渠の先、もしその分水嶺のほんのちょっと先。
新青梅街道のすぐそばにある公園に、あのじゃぶじゃぶ池があります。
中野区立丸山公園の中、じゃぶじゃぶ池、やっぱり閉鎖中でしたが。
前回のじゃぶじゃぶ池は、私が水源ではと推測した付近にありました。
今回も……?
もし、その分水嶺が新青梅街道と同時期か、
その後の建築や造成などで出来たとしたら、
それ以前は、この辺りに湧水があって、
今回のルートのほうに流れ込んでいたら……
いやー、江古田川に流れ込んでるだろうなぁw
江古田川から今回の暗渠のほうへの用水路は… 無いか。
じゃぶじゃぶ池辺りが水源で、
江古田川に流れる小川があったってのはありかも。
洪水ハザードマップを見る限り、新青梅街道もこの辺が凹んでて、
どちらでもありそうな雰囲気……
ううむ……