暗渠散策編・目次はこちら。
あと写真はクリックすると大きく成増下赤塚東武練馬。
色々あったんです。
足首を捻ったり、風邪を引いたり、忙しかったり。
しかし時も過ぎ、星辰の位置も適切に戻りました。
てけり、り。てけり、り。
長かった。二週間大変だった。
このままだと体も鈍るし、部屋にずっといると煮詰まるし、
うどんばっか食ってるわけにもいかないし。
ということで、久々の暗渠記事。
さて、その間。
色々忙しく色々も色々だったのですが、
ある時ボーっと暗渠関係のGoogle Mapをまとめた物を、
Google Earthで眺めていたのです。
初期の頃はGoogle Mapを使ってなかったからね。
天神川や谷戸川と呼ばれる川などは載ってませんね。
立ち食い蕎麦とか関係ねぇだろとか思って眺めていたのです。
いや、美味しそうだったからさ。
あれ?
江原公園ってなんだっけ?しかもがっつり谷。
行ったことないなぁ。なんだろうな……
あ!これ、中野区内のじゃぶじゃぶ池をまとめた地図からだ!
より大きな地図で 中野区のじゃぶじゃぶ池 を表示
調べてGoogle Mapを作ったのだけれども、
そんな需要もないかなと思って、放っておいた地図。
おお!じゃあ、ここへ行ってみよう。そうしましょ。そうしましょ。
時間もたっぷりあったので、事前に検索とかしてみましたyo!
あの暗渠ハンターlotus62様もレポートされています。
これは安心。江古田分水。
なんといっても中野区の暗渠ですしね。うん。
前置き長いね。
まず、今回の行程は、結果としてだいたいこんな感じでした。
参照しつつ本文を読んでみたりしてねん。
より大きな地図で 江古田川江古田分水と江古田水車 を表示
さて、朝ごはん抜いたままバスで中野から江古田まで向かい、
昼食として、とても××××な讃岐うどんを食べてしまってからスタート。
(硬いだけだっちゅー。それに関してはレポしませんw)
江古田駅のちょっと南あたりで、まずは千川上水を目指します。
千川上水は千川通りってなってますからね。わかりやすい。
で、どこから江古田分水に別れるか、ちょっとわかりにくいのですが、
「中新井川の今と昔」の地図と、
GPSといつもの東京時層地図の大正の地図と、現在の地図を見比べて、
大体ここだと思います。ビバGPS!
なんか、あんがい普通の道。
すぐ右手に江古田湯という銭湯があります。
四角い煙突が印象的です。クリーニング店併設。
もともと、ここには何らかの川があって、谷があったパターン。
この後江古田図書館に行ったのですが、「江古田散歩」という、
中野ことぶき大学大学院平成17年江古田地区学習グループの本に、
詳細が書いてありました。江古田川の水量が減ったので、
千川上水の水を分けたそう。その時にこの川跡を使ったのかな。
すぐ右手に江古田湯という銭湯があります。
四角い煙突が印象的です。クリーニング店併設。
もともと、ここには何らかの川があって、谷があったパターン。
この後江古田図書館に行ったのですが、「江古田散歩」という、
中野ことぶき大学大学院平成17年江古田地区学習グループの本に、
詳細が書いてありました。江古田川の水量が減ったので、
千川上水の水を分けたそう。その時にこの川跡を使ったのかな。
江古田分水は、中野区と練馬区の区境をまたぎ、
観音堂を過ぎて直角に曲がるのだけれども、
観音堂を過ぎて直角に曲がるのだけれども、
この曲がったあたりから、本来の川が始まった気もしないでもない。
観音堂(不動堂)のすぐそばに「こぐま公園」があって、そこには元々池があったとのこと。
江古田散歩には、そこで大根を洗ったりしたと記述があります。
あれ、そういう池では大根を洗う逸話が後世に残るものなのかね。
逸話でもないか…
「中新井川の今と昔」の地図って言っているけど、明治42年頃の地図。
江古田の資料とか読んでいると、この地図がどの本にも出てくるんだけど、
どういう扱いになっているのだろう?
ともかく、その地図では観音堂の辺りには不動堂、牛頭天皇社、稲荷社など、
まあ色々ありました。一箇所にまとまっちゃったのでしょうね。
観音堂(不動堂)を過ぎればすぐ目白通り。
歩道橋で渡ると、すぐその下あたりに、橋の欄干の跡があります。
観音堂(不動堂)のすぐそばに「こぐま公園」があって、そこには元々池があったとのこと。
江古田散歩には、そこで大根を洗ったりしたと記述があります。
あれ、そういう池では大根を洗う逸話が後世に残るものなのかね。
逸話でもないか…
「中新井川の今と昔」の地図って言っているけど、明治42年頃の地図。
江古田の資料とか読んでいると、この地図がどの本にも出てくるんだけど、
どういう扱いになっているのだろう?
ともかく、その地図では観音堂の辺りには不動堂、牛頭天皇社、稲荷社など、
まあ色々ありました。一箇所にまとまっちゃったのでしょうね。
観音堂(不動堂)を過ぎればすぐ目白通り。
歩道橋で渡ると、すぐその下あたりに、橋の欄干の跡があります。
そんなに大きいものではないし、
駐輪場の境くらいになっているのでしょうけど、
こういうのはテンションあがりますよね。
この後、この暗渠は面白い展開になります。
この昭和30年代前半の地図にある、
たぶんこの頃にできたであろうどぶ川の跡が、
そのまま暗渠になってます。
おお!暗渠的に派手な展開だぜ!伝わらないと思うけど!
こんなにマンホール開けてなんの意味があんすかね?
ということで、江原公園着。じゃぶじゃぶ池。
閉鎖中でも子供が中に入って遊んでるのは始めて見た。
この浅さで、飛び込み台、どうするつもりよw
ということで、暗渠はこの公園の下を通っているようです。
そして、公園を過ぎた後も味のある暗渠。
これは素敵。いかにも暗渠。良い天気ですね。散歩日和。
川が道の下を通り、左に曲がり、すぐ右に曲がる。
その"すぐ"の手前の部分だけ歩道があるとか。
暗渠心をくすぐります。橋の跡とかあってくれると萌えたんだけどなぁ。
公団江古田住宅の南を暗渠は進んで行き、
東橋のたもとで江古田川に合流します。
というか、ここで私は初めて江古田川を見たのだけれど…
そんな川幅で大丈夫か?どん判金ドブ…
(流行語を織り交ぜてみました…)
江古田江古田荏子田江古田江古田
さて、某所でも書いた、「この辺に水車があったはずだ」。
この帰りに江古田図書館にあった「江古田古今」という本に、
「江古田の水車」ということで、ここの記述があります。
明治30年頃に深野さんによって設置されたらしいです。
『千川用水(今の江原町から引き入れた用水)の水を上水として』、
『江古田川の水を下水とし』ていた水車だったらしいです。
水が少なくて、規模は小さかったらしいです。
だいたい大正中期まであったらしい。うん。もうないんだ。
でも、大橋の欄干には、水車があったとの記述。
そして水車の絵があります。
千川上水からの江古田分水の水で回していたって書いてありますね。
なんかこの絵がどれほどあれなのか疑わしいですが、
地図を見ると、江古田川に沿って水車があって、
その東にも江古田分水の分水があったみたいです。
で、江古田分水の分水から江古田川に流れ込む水の力で、
水車を回していたんだろう、と。
まあ、昔の話だと思うんですが…
ただ、GPSでこの場所だな、と思うちょうどその辺り。
そこを対岸から写真を撮ると、そこだけ護岸がなにか、
そこだけ開いてます。なんでしょ、これ?
で、その江古田分水の分水が江古田川に合流するであろう合流口、
もう一つ下流の不動川のたもとにありました。
不動明王の祠みたいなのあります。谷の最初と最後に不動明王。
で、その江古田川も、2~300mくらいで妙正寺川へ合流します。
川の水、茶色い。鉄分かな。
鉄分のある水で大根を洗うと何か良いことがあるんだろうか?
練馬大根とかも有名なんだろうし。
余談。
東橋とか、大橋から少し西に行くと、江古田湯という銭湯があります。
四角い煙突が印象的です。クリーニング店併設。って、あれ?
千川上水から江古田分水に分かれてすぐの所にもありましたよね?
うーん。何か関係があるんだろうか?
近所の人に聞いてみたら、
銭湯は親族で経営することが多いから関係あるのかね?とのこと。
いやー、まったくもって余談でした。
余談の余談。
ちなみに、中野区では江古田は「えごた」と読みますが、
練馬区では江古田は「えこだ」と読むらしいです。
なので、中野区にある都営地下鉄大江戸線新江古田駅は「しんえごた」」
練馬区にある西武池袋線江古田駅は「えこだ」です。
ややこしいですね。
あー……
記事長い……
2 件のコメント:
暗渠記事なのに、
Miniとユニオンジャックを確認いたしました。
ありがとうございますw
おお!気がついてくれました!
あとは暗渠の面白さが伝わってくれるといいなw
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