2010年11月5日金曜日

くろんぼ用水(仮)と禅定院川(仮)

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
あと写真はクリックすると大きく成増。
前回の記事、『妙正寺川の野方沼袋支流のような幻を見た。』の続きです。
くろんぼ川に関しても記述があります。


~ あらすじ ~
適当に高低差を見ながら谷間に訪れたら、
くろんぼ川って川があったらしいのです。


で、前回の記事のコメント欄を参考にしていただければ、
その後の推移や考察はお解かりいただけると思うのですが、
大体こんな感じです。

Goo地図によると、くろんぼ川の下流が北東に進み、
西武新宿線を超え、沼袋を超え東進して、
妙正寺川に合流している。

妙正寺川と併走している用水路があって、くろんぼ川と合流している。
用水路は昭和30年代から暗渠化していき、
くろんぼ川との合流部分より下流が開渠だったのでは。
くろんぼ用水(仮)と名づけたいです。

みたいな感じだったので、では現地に行ってみましょうと。
仙台から帰ってきて、翌日すぐ行ってみました。


今回の行程はこんな感じです。GoogleMap便利だなぁ。


より大きな地図で くろんぼ用水(仮)と禅定院川(仮) を表示


一応全行程歩いてみましたよ。疲れた。
結論から書くと、
行っても何が正しいのか判らなかったのですがw


さて、くろんぼ用水(仮)が始まるのはここから。

 

場所は野方の駅から歩いてすぐ。
coco壱でカレーを400g食べてから行ったのですが、
それでも苦もなく歩ける距離です。でも3辛はつらかった。

果たしてその場所には、沼栄橋公園という殺風景な湿った公園。
すぐそばにある橋は新昭栄橋なのにね。沼栄橋。なんでしょ。
そしてその下には、見たことのない大穴が開いています。

 

この大穴は環七地下調節池への取水口。
中身はこんな風になっているようです(PDF注意)
地上部にも建物がありますが、なんだか判りません。
巨大なポンプの一部に見えるものもあったりします。入れません。

 

気になるのは、新昭栄橋の袂にある穴。排水口?
あと、神田川・環七地下調節池インフォメーションセンター。
面白い資料や展示があるかなとも思ったのですが、
策で囲われていて入ることができず、
ノーインフォメーションセンターでした。残念。


環七を渡ると、変なもの発見。

 

コンクリで作られた謎の設備。中はこんな感じで、下に水。
何かの雨水を排水する施設でしょうか?にしても。


サイフォン式?

暗渠好きとしては、つい野方図書館のある道を選択しがちですが、
GPSといつもの東京時層地図を見る限り、その一つ北の道。
階段から始まるここがその目的のくろんぼ用水(仮)。
図書館の前も暗渠っぽいので何かあったのかも。
でも、川は低いところを流れ、用水路は高いところを流れる法則で、
図書館前よりくろんぼ用水(仮)は高いところにあります。

左が現在。中央が明治初期。右が昭和初期。
画面下1/3くらいのところを太く流れるのが妙正寺川。
その少し上にうっすらと見えるのがくろんぼ用水。
昭和初期には無い、逆への字に曲がって黒い線が西武新宿線。
  
この地域に関してはこの記事でも記事にしております。
まあ、用水路と仮称をつけてみたものの、
もともとは妙正寺川の分流の一つだったのでしょう。
それを水田を作るにあたって、護岸して、
用水路にしたような気もしないでもない。

水田がなくなったら生活排水を流すドブ川になったのかな、
と、推測していたのですが、近隣の人に聞いてみても、
「ドブ川」という言葉は一切出ず、「川」または「小川」だったので、
案外きれいな水が流れていたのかも。洗張店とかもありましたし。

とはいえ、綺麗な道。
特に暗渠っぽい痕跡とかあんまりないんですよねー。
しいてあげるならこれくらいですかねー。



なんだかものすごく怖い。飢る噛む!
逆に焼いて食べられちゃう感じがします。


さて、くろんぼ川とくろんぼ用水(仮)の合流地点。
前回の記事のブロック塀で区切られた道路の辺り。
左が昭和3~11年の地図。右が昭和30~35年の地図。
下がGooMapの昭和22年の航空地図。なんとくろんぼ川が確認できます。
くろんぼ川に関する記述は、「中新井川の今と昔」や、
「古老の語る沼袋・江古田の歴史」にもなかったのに。
航空写真は強いなぁ。
ん?
ということは、昭和22年の少し前にくろんぼ川が出来て、
昭和30年くらいには暗渠化された?
 

左上から中央へ流れるのがくろんぼ川。
中央から右上へ流れるのがくろんぼ用水(仮)

昭和初期には全面開渠なくろんぼ用水(仮)。
昭和22年には合流地点から少し南西の辺りまで暗渠化されてそう。
昭和30年代にはなぜか開渠部分が広がってますw

まあ、地図に差異はあるにしても、
くろんぼ用水(仮)は上流から清谷寺周辺まで暗渠化し、
それより下流はしばらく暗渠化していなかった時代があった様子。

この辺りに谷を刻んだ元祖くろんぼ川は枯渇し、江戸時代には消滅。
関東大震災や世界大戦以後、都心から越してきた人たちなどで、
この付近の住民が増えてきた時に、生活排水やら何やらのために、
くろんぼ用水(仮)より上流部分のみの、くろんぼ用水(仮)に流れ込む、
新くろんぼ川が復活したのではないでしょうか。

で、その後、
昭和なりの「やっぱナウいのは暗渠だよねー。開渠ってマルビだよねー」
みたいなトレンディーなノリの流れで、
くろんぼ川もくろんぼ用水(仮)も暗渠化していったと。

そんな夢を見ました。


で、そのまま西武新宿線を超えます。



この後もまあ綺麗な普通の道なのですが、
沿道で商っている商店の人などに聞いてみると、
確かに川があったとのことでした。
昭和40年代にはもう蓋がされたのではないかなぁ、とのこと。
30年代の地図にはくろんぼ用水(仮)が載ってますから、
まあそういうことなのかもしれませんね。


しばらく歩いていくと、沼袋駅の前を通り、一の湯へ。
銭湯といえば暗渠。コインランドリーも併設。

 

位置の湯周辺の人に聞いても、
昭和40年代には蓋がされていたみたいです。
(でも皆様あまり覚えてないみたい)


お肉屋さんとホルモン屋の間を通り、
さて用水も下流部かなと思ったのですが...
左は昭和、右が明治の地図。

  

用水自体は昭和のこの地図のノリで追ってきたのですが、
どうも一本の用水路ではなかったのかも。
下調べとかしてなかったから、その場で驚いた。

ここまでたどってきた妙正寺川(仮)というのは、
元々の妙正寺川分流、禅定院川(仮)、
それを繋げるような人工のくろんぼ用水(仮)の三つが複合しているのかも。


より大きな地図で くろんぼ用水(仮)と禅定院川(仮) を表示

こんな感じで、紫が妙正寺川の分流。緑色が禅定院川(仮)
水色は途中を結ぶための人工の部分。
三つ合わせて「くろんぼ用水(仮)」。よろしく。
「くろんぼ」は、
くろんぼ川沿いにある庚申塔と関連有るらしいので、
この命名は適切でない気もしますが、
くろんぼ川からの水も流れ込んでいたようですし。
(いや、くろんぼ川に出るお化けがくろんぼお化けなわけで、
川の名前の由来は結局わからない気もしますが。)



いや、人工って行ったらもはや全部人工なんでしょうけどね。
川筋にしても、もう人間の手で変えられたものなのでしょうし。
その上で元の分流、川が入り乱れ、この辺すごく複雑に入り組んでます。

それでなくても沼袋なんて名前ですからね。
昔から沼とか袋とか沢山有った事は想像に難くないです。


禅定院の中には、今でも井戸からポンプで汲み出しているであろう湧き水と、
小さな池があります。

感じの良い庭でした。

ちなみに沼袋の商店街のカエルのキャラクターは、
沼袋の名産品がカエルだったからかもしれません。



赤蛙。白魔法と黒魔法が使えます。
青蛙はラーニングできます。トード。


沼袋の南側にある妙正寺川への合流口は、
妙正寺川分流の合流地点。

西武新宿線沿いに東へ進んで、
第十五号橋の袂にある合流口は禅定院川(仮)の合流口。
合流口の写真も撮ったけど、もう見飽きたよね?
w


でも、明治後期から昭和30年代まで、
今回の記事のメインになっている、
くろんぼ用水(仮)の合流口は見つかりませんでした。
やっぱり人工の川より天然の川の方が強いのかな。

天然の川(谷間部分)に、合流口があるのかも。
とするとくろんぼ川と思わしき場所にある合流口も、
やっぱりくろんぼ川に合わせたものなのかも。
ということで、
妙正寺川の護岸の合流口が一つ一つチェックされてきた気もします。
中野区の暗渠攻略、良い感じです。

0 件のコメント: