2010年9月28日火曜日

No Pants Subway Ride 2010

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へぇ、youtubeから直接Bloggerに記事をアップできるのねテスト。

2010年9月26日日曜日

暗渠と化した桃園川を源流から神田川まで歩いてみたよ!

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今回も写真はだいたいクリックすると大きくなりますよ!
暗渠散策編・目次はこちら。


だいたいね、趣味って言ったら、それはそれ色々あるわけなのですが、
その趣味のうちの一つが、散歩。
とくに、見ず知らずの街に引っ越した直後なんて、
楽しくてしょうがないですよね、散歩。

引越し直後は色々アレで、その後、猛暑で散歩どころではなく。
(恒例の精霊馬探ししたら熱射病になりかけましたからね)
やっと散歩できる季節になっておりました。

アドリブで歩き回るのもいいけど、何かネタがあっても良いよね。散歩にしてもさ。



ということで、我が家の近所に気になる橋があります。桃園橋。
橋はあるけど、川がない。
そう、タモリ倶楽部やブラタモリで有名な『暗渠』ですね、これ、どう見ても。
ブラタモリだと、古地図やCGでの地盤標高図を参照しながらブラりますが、
素人だと、あんなデカイ地図や、それを広げるテーブルなど持ち歩け......る!

とうとう日本地図センターがやってれちゃいました。
明治時代から現代まで、6の時代の地図と標高図とGoogle Mapを、
GPSと連携して参照できる、東京時層地図なるものがiPhoneのアプリとして、
今は誰でも手軽に入手できます。
東京時層地図に収録されている地図を実際に交付したら、
35万円くらいかかっちゃうらしいですからね。
しかも実際の地図より持ち運びしやすい。素敵!

さて、その地図によると、桃園橋が出てくるのは明治34~42年の地図。
そこには(奇遇にもw)大久保通りと同じような曲線を描く川があります。


おお!中野五差路はもともと四差路だったのか!
しかも中野通りの方が無いw

まあ、歩いていってみると、すぐにインフォメーションがあります。


中野の桃園は元々「高円寺」にあったのね。
ということで、ここは桃園川という川があり、暗渠になっていて、
その上が桃園川緑地になっている、ということ。



だいたいきれいに整備されていて、緑もあり、
四季折々楽しめるよう植物など植えられ、散歩に適した歩道となっております。
行程としては、だいたいこんな感じです。
(あくまでもだいたいですw)

大きな地図で見る

現在のように河川工事の行われなかったような時代に、
川があって、その周囲は湿地帯のようになって、鵜とかいて葦とか生えて、
そこから少し距離をとるように道があって、その道が発展して太くなり、
徐々に大久保通りとか、商店街とかが川に沿うように発達したのでしょう。
このコースは、どちらかというと裏道感が漂っております。

阿佐ヶ谷で中央線を北側に渡ると、桃園川ももう上流。
このあたりはちょっと掘ると地下水が湧き出たらしいです。
水源不明の小川や支流が多かったらしいです。
ということで上流に行けば行くほど、桃園川は細く、
扱いもぞんざいになりますw
だんだん蓋をされただけの側溝のようになり、
古地図と現在の地図を見比べてても、川を見失うようになります。



ただ、先ほどのインフォメーションやウィキペディアw などから、
もう源流がすぐ近いのはもうわかっているので、
標高のできるだけ低そうなところを歩きながら、そこへ向かう。
目的地は、杉並区立郷土博物館分館。荻窪駅から徒歩10分くらい。
武蔵野台地の湧水が、桃園川を作り、谷を作り、
現在の標高図にも跡を残しているのが見えます。
左が明治9~19年の地図。右が標高図。同じ縮尺同じ場所に矢印書いてみました。

矢印のあたりから右へ、うっすら谷になっているところが桃園川河畔の跡。
その矢印の先が水源。

下の左側の画像にある池が、その昔弁天様を祀っていた祠のあった池。
まあ、実際はその池も、そこに水を供給している泉(右)も、
現代になって作ったフェイクらしく、水源は地下にあるとのこと。残念。


この郷土博物館には、杉並区の歴史に関する資料や、
桃園川の歴史などの資料もあり、係員も親切に説明してくださりました。
源流探索の際は、係員の方にちょっとお話を聞いてみても良いかもね。


川 川 川 川 川 川 川 爪 川 川 


となると、気になるのは神田川と合流しているという下流。

大きな地図で見る
ま、距離的にはたいした距離ではないですね。さあ散歩。
こちらはほぼ 大久保通りと併走している、裏道といった風情。
こちらも歩き始めるとすぐインフォメーションがあります。
ちょっと上流の物と読み比べると面白いw

あれ、石神井川って名前だったの?
とはいえ、だいたい2~3mくらいの幅なんですね、下流。
下流に行けば行くほど、緑道はリッチな装飾や、遊具やなどが増えていきます。

路面には桃園川に伝わる昔話のようなものが描かれておりました。

昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいて、
突き飛ばされました。とっぺんぱらりのぷう。

神田川と合流する寸前、現在の水位を表す電光掲示板なんてありました。

あと3.5mの余裕があって、現在50cmの水位。
これ、やっぱり、なにか大雨なんかで溢れちゃったりするのでしょうか?
いや、溢れないんだったらこんな表示は要らないですよね......

でも、こんなことからもまだ桃園川が息づいているのだと感じることが出来ます。
暗渠を訪れて思うのは、元々そこは湿地帯であったり、葦が生えていたり、
鵜の群れがいたりしたところを、人間がその際に住み始め、
勝手に護岸工事をし、そ の上で氾濫するからと、
住宅地を作るからと蓋をし埋めてしまった、そのエゴとか、
そうして私たちは生活しているんだなという感謝とかです。
土地の歴史とか を知るってそういうことじゃないかなぁと思ったりもします。

左が現在の合流口。真ん中が昭和30~35年の地図。
右の写真の真ん中の7-11あたり。
  
ちょっと北に、神田川の下流のほうに向かって曲がって、合流するのね。

そこまでテクテク歩いていき、かぐや姫の神田川の石碑を超え、
橋を渡り、新宿区側から中野区を眺めると、こんな感じ。

全区間暗渠なので、ここでやっと桃園川にお目にかかれるわけです。
現在でも、高度成長期前夜と同じ角度で神田川と合流しているようです。

ということで、ウィキペディアの記述によると、
この合流口は正確には桃園川とは言いにくいらしいですがw
どの記述でも神田川に合流しているって言うし、
ほかに合流口が見当たらない。なのでここを交流口としてみたい。

先ほど記述したとおり、
桃園川には源流のわからない小川が流れ込んでいたり、
逆にどこかに消えている支流があったりするそうです。
杉並中野は暗渠が多いですからね。
東京時層地図と合わせて散歩していけば、
楽しいことも多い気がしてきました。
より散歩に熱が入るというものです。
そうかぁ?


川 川 川 川 川 川 川 瓜 川 川 

でも、まだまだ調べ始めたばかり。
色々間違えているところもあるかもしれないので、
下記のサイトも参照してみるといいかもしれません。

『桃園川 - Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/桃園川
桃園川 杉並 MMZ 阿佐谷 produced by 「桃園川を愛でる会」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mmz/
中野区 > 中野区の魅力 > わがまち中野 > 桃園川緑道
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/504000/d005134.html
桃園川緑道|東京どんぶらこ Web版|東京新聞ほっとWeb
http://hotweb.tokyo-np.co.jp/content/donburako/spot05.html

桃園川緑道 - NPO法人 東京高円寺阿波おどり振興協会
http://www.koenji-awaodori.com/ja/festival/map/momozono.html

水位観測情報【桃園川下水幹線・水位グラフ】桃園川下水幹線
http://dim2web09.wni.co.jp/nakanocity/obssuii/40220031300000020_suiigraph10.html





まあ、なにかにつけて、家から出なきゃね。