2011年11月29日火曜日

スライム肉まんがあらわれた!

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スライムがあらわれた!



スライムはなかまをよんだ!



ぜんらのおとこの攻撃!会心の一撃!
ロトの包丁でまっぷたつ!



未消化の犠牲者が中に!



ぜんらのおとこはけっこう普通の肉まんを手に入れた!

ということで、ファミリーマートの「スライム肉まん」170円。
ちょっと肉まんにしてはお高めw

食べ物としては、なんからアメリカのお菓子に有りそうな、
気味の悪い色。日本人は青で食欲減退するらしいね。
でも、甘いとか、炭酸がシュワシュワするとかではなくて、
食べてみると案外普通の肉まんでした。

スライムベスはぜひピザまんで!


※ 撮影後、スタッフが美味しく頂きました

2011年11月8日火曜日

鷺ノ宮の暗渠と天沼本村川(仮)と湧水。

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暗渠散策の目次はこちら。

以前から鷺ノ宮にはいつか行かなきゃいけないと、
中野区暗渠担当としては思っていたのですが、
なかなか機会が訪れなかったわけです。

興味を持ったのは、白地図を手にした直後。たぶん1970年代の白地図。
西武新宿駅鷺ノ宮駅の周辺、こんな事になっているのです。
白地図では、ニョロニョロした線が水路。
マウスでまともに線なんて書けないのですが、わかりやすく塗ってみました。
濃い青の線は妙正寺川。薄い水色の線は、その周辺の水路(跡)。



いやいやいや、なんでこんな事になってるんだろう?
この近辺で「水路を守ろう運動」みたいなのがあったのかしら?くらいの。

でも、こんなのキリがないでしょ(失礼)。しかも鷺ノ宮、遠い。
電車で新宿経由で片道330円かかるずら。
まあ何かの機会があったら、行ってみようかな、と。



で、またある日、別の地図を見ていたのです、グーグルマップかな。
中野区と杉並区の区境を見ていたのです...



何してんでしょうね、まったく。
で、いてもたってもいられなくなって、出かけたわけです、鷺ノ宮。
鷺ノ宮までは、中野区のコミュニティバス「なかのん」で210円が正解。
初めて行ったけど、鷺ノ宮はなかなか西武新宿線らしい駅でした。
秋龍のとんこつ醤油ラーメン680円を食べ、
なんだか妙に美味いかりんとうを試食し、買って、ブラブラしました。

昔の白地図には水路が載ってますが、うん、今はあんまりないかも。
たまにこんなふうになっている所が、その跡なのかな。



駅周辺の、こういう跡、また鷺ノ宮を散策して、もう少し探ってみたいです。



さて、では中野区と杉並区の区境の暗渠散策へ。


より大きな地図で 天沼本村川(仮称) を表示

いや、なかなか。なかなかの暗渠です。
見所が多いです。名著『杉並の川と橋』にちなんで、
その名称を天沼本村川(仮)とさせて頂きます。

もともと妙正寺川が大きく曲がる地域。川の左右に用水を作り、
水田などの取水と排水に使うのに良かったのかもしれません。
元々あった天沼本村川(仮)の水と、
妙正寺川からの水を用水に流していたのかもしれません。
天沼本村川(仮)と妙正寺川の合流地点は、用水のそれになっています。
まずは、その用水路であったと思われる場所を歩いてみましょ。

駅から近い方、下流の方の合流口に行ってみたのですが、なんだろ。



ここって、小石や何やらが詰まるような構造の不備とかあったのかしら。
どういう物理法則が働いて、こうなったのか、皆目見当が付きません。

気を取り直して、歩いてみる。白地図の通りに、それらしきものあります。



隠し切れない微妙な暗渠さ。なかなか素敵です。

用水路の、再上流地点。例の中野区と杉並区の区境地点。
川の流れと、区境のズレ。


より大きな地図で 天沼本村川(仮称) を表示

妙正寺川から別れて西へ流れていくのがその、用水路の。
南から流れてきて用水路に合流するのが、天沼本村川(仮)。

でも、用水路は不要になって、天沼本村川(仮)の妙正寺川との合流口に、
その妙正寺川から別れる所が使われたのかしら。
ちょっと、そんな経緯を想像してしまいます。
この妙正寺川と天沼本村川(仮)と区境、面白い事になってる。

妙正寺川の下流方向から見ると、こんな感じ。



それとも、区境は元々の天沼本村川(仮)の流れた場所なのかしら?

右側、妙正寺川の柵に青いパネルがかかってて、
そこから手前が中野区。その奥が杉並区。
その奥に道が縦縞になっているのが、天沼本村川(仮)のコンクリート蓋。
対岸から見ると、こんな感じの合流口。ちょっと面白い形。



さて、ここから天沼本村川(仮)の上流に向かいます。

 

しばらくは中野区と杉並区の区境を進みますが、
徐々に西へ、杉並区の方へ振れていきます。金太郎。

で、『杉並の川と橋』では、本天沼稲荷神社の2ブロック東に湧水、
4~5ブロック西にも湧水があったことになってます。


このあたり細かい暗渠、コンクリート蓋なので解りやすい暗渠が、
そこかしこにあったりします。



川の流れにそって、各家庭の排水に使おうとしたのか、
それとも、元々水の湧きやすい地形で、それぞれ源流になっていたのか、
それはちょっと解りません。

『杉並の川と橋』とグーグルマップでは、こんな感じになってます。


より大きな地図で 天沼本村川(仮称) を表示

その2ブロック東の湧水が天沼本村池だったわけで、
クシャクシャってなってる辺りが本天沼稲荷神社。

ちなみに、グーグルマップの左下にチラリズムしてる、
杉並区立天沼中学校。こちらの暗渠記事のグーグルマップにも入り込んでます。
また、少し南に行くと、杉並区立郷土博物館分館があって、桃園川のテリトリー。
さて、分水嶺はどのへんかしらね。

悪水路って、
邪悪な水が流れだしている毒々しい川とかそういう意味ではなく、
排水路くらいの意味らしいです。
面白そうな記事があったのでリンクさせて頂きます。
『不動産鑑定・コンサルティング | 内藤事務所有限会社 | ブログ 悪水路
水利権とか色々ナーバスな事情があっての記述なのかもしれませんね。


この暗渠は、以下の記事で皆さんそれぞれ、
天沼川、妙正寺川本天沼支流、妙正寺川天沼本村支流などの名称で紹介されています。
リバーサイド様:妙正寺川の支流を歩く (本天沼支流) 前編後編
nama様:桃園川支流を歩く その28天沼川(本村用水路)後編
hondaさん:「妙正寺川天沼本村支流(仮称)」の暗渠を辿る(1)妙正寺川右岸傍流
それぞれ秀逸なレポートなので、そちらもご参照くだされ。


※ おまけ ※

散策中にLotusさんから湧水情報。


はたして0.002立方メートルというのはいかほどのものかということですw
Google電卓機能で、それが2リットル。さすがグーグルさんです。
天沼本村川(仮)とは直接関係はなさそうですが、
早速見に行ってみました。



写真的には地味ですが、かなり湧いてます!
毎秒2リットルですから、2分もあればお風呂も満タンになるくらい。


いやあ、まだまだあるんですね、湧水。
先日の初台川から湧水づいてます。
やっぱりテンション上がります、こういうの見ると。
Lotusさん、ありがとうございます。

この湧水はLotusさんの記事で取り扱われています。
暗渠ハンター 鷺ノ宮エキチカ湧水とかつての水田のこと
こちらの記事も秀逸。ぜひ。

2011年11月6日日曜日

秋葉原その時々。

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最近、諸事情で秋葉原に行くことが多いんですけどね。
秋葉原、色々想い出のある場所で、あったりなかったりします。
何が?

先日のアキバはこんな感じでした。


もともと材木商のあったあ場所で、
江戸とかの大火のたびに儲かっていたらしい場所。
明治の頃に火事の後に鎮火の杜を作った時、
火伏せの神として秋葉大権現が来たんじゃないかと勘違いした人達が、
「アキバハラ」とか「アキバガハラ」とか「アキバノハラ」とか呼び始めたのが、最初。
なので、今は「アキバ」って略されてるけど、実はそっちが正しい。らしい。

で、「アキバハラ」がなぜ「アキハバラ」になったかというと、
駅を作る時に秋葉原の読み方を知らない鉄道官僚が勘違いして付けた、
という説が濃厚だったりとかなんとか。

なんか勘違いの多い土地ですね。

船で運んできた材木や米を貨物列車に載せる為の積み下ろしの場所、
今では秋葉原公園になってます。じゃんぱらとラーメン屋の間。
ビッグエコーとか、あ、そうそう、みんな大好き生そば箱根とかの間。
今は喫煙所みたいになってるけど、一段低くなってるでしょ。


ここの明治時代の終わりくらいから地図にも出ている「サクマ橋」は、
今でも秋葉原公園の手前にその遺構が残ってます。

で、積み下ろした物資を電車に積むための貨物駅があって、
色々交通の便とか便利だったみたい。
青物市場とかもちろん闇市とか色々あったみたい。
1989年まであった青物市場はその後、大田市場に移転したらしいけど、
市場あとはしばらく広場みたいになってました。
そこでバスケとかしたのが、ワタシの最初の秋葉原への着床w
(注:秋葉原は到着するものではなく、着床するものらししいです。ネットスラング。)

そのバスケとかした場所は今は秋葉原クロスフィールドになってます。
秋葉原UDXビルなんかですね。



闇市の方は米軍払い下げの真空管とか電子部品なんかも取り扱っていたらしく、
それが後のオーディオ屋さんやPCジャンクパーツ屋さんの元になったとか。
もちろんバスケが好きだったわけではなくて、
そのPCとジャンクパーツ屋さん巡りに、ハマってたのね。
当時はCeleronのCoppermineにゲタ履かせてDual CPUにしたりとか、
自作PCが一番面白い時期だったなあとか、今になると思うのです。
まあボーナス飛ぶくらいの金額のPCを組んでた。思い出補正。
ネトゲとかもハマってたかも。ウルティマオンラインとか。



あの頃は、まともに食事する場所すら無かったような印象。
赤津加とか村役場とか、ドスパラのあたりに回転寿司があったかな。
がんこラーメンとか好きだったかも。ちょっと塩っぱ目だけど美味しい。
あとは『西部開拓時代にありそうな牛丼屋』サンボとか。

サンボも市場があった頃から営業してたらしいから、歴史長いですよね。
でも、最近は食事するところも飲むところも充実してます。
小腹がすいたらおにぎり屋やケバブ屋があるし、カレーにいたっては激戦区。
そんなにお高い店はない、はず。
あとは、よくわからない女性が給餌してくれる喫茶店なんかも多いですよね。


リンク

そうやって最先端ファッションシティーとして移り変わっていくのが、
秋葉原なのだろうから、いつまでもPCジャンク街であるのも健全ではなく、
アニメやゲーム、アイドルの常設劇場があったり、
オタクカルチャーに先鋭した街に変わってきました。
それは悪いことではなく、秋葉原の歴史を考えると当然なことなのでしょうけど。



ただ、秋葉原通り魔事件とか歩行者天国エアガン乱射事件とか、
露出癖のある自称「セクシーアイドル」のパフォーマンスとか、
なんかちょっと、悲しい時代もあった気がする。2008年くらいかな。
ホコ天が廃止され、また復活して、今のところはおとなしいけど、
自由な雰囲気が阻害されるのは嫌だけど、でも節度は必要だよね。
人工衛星が落ちてくるくらいなら、まあ、いいんだけどさ。



今後の秋葉原はどうなっていくんでしょうね。
ジャンクとかアニメといった特定ジャンルではなく、
マニアックなオタクカルチャーに特化した街、になるのかな。
駅前に出来たアダルトグッズ専門ビルも気になる。風俗街?
わかんないけどさ。変わり続けるのが常態ってのもまた、あれだよね。
今後も適度な距離を保ちつつ、見守っていきたい所存でごじゃります。
特にオチはありません。

2011年11月3日木曜日

神田上水助水堀と十二社

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ということで、時系列的にはアレです。
小淀川リベンジの直後からの話です。
ちなみに暗渠散策の目次はこちら。

前回も載せた、終了地点の地図。東京時層地図のものです。



豊水橋まで着いたところから、話が始まるのれす。
神田川の豊水橋を渡った辺りに、この辺の地図があります。



直線上に『よどばし児童遊園』と『けやき児童遊園』が並んでおります。
これ、こういう場所って暗渠なことが多いですよね。
しかも一直線。自然な川と言うより、用水路とか上水とか。
最初の地図、昭和3-11年の地図にも載ってますね。


より大きな地図で 渋谷新宿の暗渠 を表示

西参道から、新宿中央公園の西側を北上し、神田川へ注ぐ用水。
ちなみに緑色で囲まれたあたりは後述する十二社池なんですが、
まずは水色の線ですね。いわゆる一つの、神田上水助水堀です。

神田川笹塚支流の記事にも出てきた、玉川brosで有名な玉川上水から、
神田川へ水を引いていたらしいです。
その辺の話は後でまとめるとして、まずは神田川との合流地点、
淀橋へ向かってみます。


だいたい、この淀橋のそばで合流したみたいです。
淀橋ったら、話題が尽きないですよね。
四谷区・牛込区・淀橋区が合併して新宿区になったとか、
カメラ屋さんがあるとか、水車が爆発したとか。

淀橋の水車爆発に関しては、詳しいページがあったので、
リンクさせていただきましょ。下落合の水車小屋は大丈夫だった?

神田上水助水堀を遡上しつつ、南へ。
だいたいこんな感じで続いています。


なんか案外、細いんだな、幅が。なんて思いながら。
いや、隣の緑地みたいなのもその一部だったのでしょうね。

その後、なぜこんなになったんだろうという地面や、
悪い夢に出てきそうなオブジェ、自転車置き場、物置など、
暗渠場ではよく見かける感じの、まっすぐに続く道。



暗渠感があるのは、新宿中央公園に突き当たる辺りまで。
その後は十二社(じゅうにそう)通りを南下。



もっさり首都高を超え、京王線のあたり、
玉川上水から分岐していたあたりに行き着きます。
うむ、もはや真っ暗。断念。

※ ※ ※ ※ ※

で、後日。
時系列で言うと、初台川源流の後。
ほんださん親子とえいはちさんと私で、
お祭りで椅子が出来上がるのを眺めつつ、
えいはちさんに案内していただき、十二社を案内して頂きました。
いや、十二社を案内してくださる方では、
ベスト・オブ・ベストな人に案内していただき、光栄です。


もともと十二社の池と熊野権現社の滝など、
昔の観光地出会った場所。花街や温泉などの痕跡。猫。
とても風情のある感じです。
素敵。

※ ※ ※ ※ ※

地形的、暗渠的に見てみる為に、昔の地図を並べてみましょ。


東京時層地図の現代の地図(GoogleMap)、高度成長前夜の昭和30~35年、昭和戦前の昭和3~11年、関東地震直前の大正5~10年、明治の終わりの明治39~42年、文明開化の明治9~19年。今昔散歩の江戸時代、東京時層地図の段差陰影5mメッシュ標高。
戦前の地図、浄水場に爆撃みたいな悪さされないように、
地図に嘘を書いていたのかもしれません。
なんとなく。
十二社近辺に行ってみてもわかりますが、標高を見ても解る通り、
案外がっつり谷になってます。
元々川のあった場所らしいのですが、それを塞き止めて池にしたとか。

また、今昔散歩によると寛文7年(1667年)に神田上水助水堀が掘られたとのこと。
神田上水助水堀が掘られた時に熊野滝が出来たらしいです。

明治になって淀橋浄水場が出来た時に滝は消え、
昭和43年に新宿副都心計画に伴い十二社池が埋め立てられ消滅。
神田上水助水堀もその頃には蓋をされちゃったのかもしれませんね。