2013年6月9日日曜日

練馬の川シリーズ:濯川と弁天分水

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いやあ。暗渠の記事、久しぶりですよね。
それまでも、いや、色々書かなかった間にも、
某暗渠神と暗渠巡ったり、一人で散策したり、
色々あったのですが、そろそろ記事にもしようかな、と。

というのも、新居を練馬に構えたからです。
つらいこと、悲しいことのあった中野を離れました。
震災の記憶とか、酷いこと、たくさんありました云々云々。
ここで、心機一転、練馬ですよ。大根ですよ。住みやすいですよ。
ね、ま、それもありですよね。
ということで、今回も暗渠記事です。
 暗渠記事の目次はコチラ

さて、手短なところから行きましょうかね。
まずは江古田です。


より大きな地図で 練馬の川跡 を表示

近いすね、これまた。

今回は濯川と弁天分水になるのかしら。
詳しくは他の秀逸な記事をご参照くだされ。
武蔵学園記念室支援サイト 『濯川 歴史と景観
素晴らしい。練馬区の暗渠情報の充実ぶりったら無いですな。

さて、濯川。すすぎがわ。または、中新井村分水など、いくつか呼び名があるようです。
野菜とか洗ったりしてたらしいので、濯いだりもしたんでしょうね。
元々は千川上水からの分水らしいですが、
現在は武蔵大学の構内に雨水循環型の人口の川があります。


木製の水槽枠が埋め込んであり、そこからコンコンと水が湧き出ています。
雰囲気の良い校内をお散歩がてらに歩いていると、
途中で何処かに吸い込まれて、 いつの間にか水はなくなっています。


この後、北新井公園を抜けると緩い谷になっていて…
これこれ、暗渠らしい光景になっております。久々。 


暗渠といえば浴場。「とよたまよくじょう」ってまた、すごい名前ですね。
北豊島郡と東多摩郡の郡名から一文字ずつ取って名付けた小学校、
豊玉(ほうぎょく)小学校が1876年(明治9年)開校して、
そこから豊玉(とよたま)に地名変更したらしいです。
たしか、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコント、
保毛尾田保毛男は練馬区豊玉が舞台という設定。
まあどうかと思うですけどね。色々。ねぶろ。


で、まあそれなりに道幅も広くなった所で、江古田川に合流。



合流口。すごく立派です...


でもね、現在の江古田川、普通の時の水量はこんなもの。
この地下に大きなパイプが埋まっていて、排水してるのかもしれません。 


で、もう一本、弁天分水。コチラもまあ、千川上水からの分水らしいです。
暗渠感が薄いので、 ダイジェストで。

途中、 東京時層地図に弁天祠と書かれた場所、
現在での市杵島神社のあたりも湧水があったとか。



目白通りと交差するあたり、橋の遺構がありました。ご立派。


でまあ、細い路地を辿って行くと、千川上水に突き当たります。


大学が多い町なので、物価は安いし飲み屋も多い。
自然も豊かだし。とても暮らしやすいです、練馬区。

久々のブログで要領を得ないですが、
新生活のご報告も兼ねて。

特にオチは無し。

1 件のコメント:

lotus62 さんのコメント...

いろいろおめでとうございます。
いい街に越されましたね。暗渠的にも、その他的にも。

また拙なるブログについてもご紹介ありがとうございます。
私もこの辺りについてはまだまだ大雑把に「通りがかった」程度なのでお恥ずかしいです…。きっとつぶさに見ていくといろんな発見があるのでしょうね。愉しみにしています!