前回も載せた、終了地点の地図。東京時層地図のものです。
豊水橋まで着いたところから、話が始まるのれす。
神田川の豊水橋を渡った辺りに、この辺の地図があります。
直線上に『よどばし児童遊園』と『けやき児童遊園』が並んでおります。
これ、こういう場所って暗渠なことが多いですよね。
しかも一直線。自然な川と言うより、用水路とか上水とか。
最初の地図、昭和3-11年の地図にも載ってますね。
西参道から、新宿中央公園の西側を北上し、神田川へ注ぐ用水。
ちなみに緑色で囲まれたあたりは後述する十二社池なんですが、
まずは水色の線ですね。いわゆる一つの、神田上水助水堀です。
神田川笹塚支流の記事にも出てきた、玉川brosで有名な玉川上水から、
神田川へ水を引いていたらしいです。
その辺の話は後でまとめるとして、まずは神田川との合流地点、
淀橋へ向かってみます。
だいたい、この淀橋のそばで合流したみたいです。
淀橋ったら、話題が尽きないですよね。
四谷区・牛込区・淀橋区が合併して新宿区になったとか、
カメラ屋さんがあるとか、水車が爆発したとか。
淀橋の水車爆発に関しては、詳しいページがあったので、
リンクさせていただきましょ。下落合の水車小屋は大丈夫だった?
神田上水助水堀を遡上しつつ、南へ。
だいたいこんな感じで続いています。
なんか案外、細いんだな、幅が。なんて思いながら。
いや、隣の緑地みたいなのもその一部だったのでしょうね。
その後、なぜこんなになったんだろうという地面や、
悪い夢に出てきそうなオブジェ、自転車置き場、物置など、
暗渠場ではよく見かける感じの、まっすぐに続く道。
暗渠感があるのは、新宿中央公園に突き当たる辺りまで。
その後は十二社(じゅうにそう)通りを南下。
もっさり首都高を超え、京王線のあたり、
玉川上水から分岐していたあたりに行き着きます。
うむ、もはや真っ暗。断念。
※ ※ ※ ※ ※
で、後日。
時系列で言うと、初台川源流の後。
ほんださん親子とえいはちさんと私で、
お祭りで椅子が出来上がるのを眺めつつ、
えいはちさんに案内していただき、十二社を案内して頂きました。
いや、十二社を案内してくださる方では、
ベスト・オブ・ベストな人に案内していただき、光栄です。
もともと十二社の池と熊野権現社の滝など、
昔の観光地出会った場所。花街や温泉などの痕跡。猫。
とても風情のある感じです。
素敵。
※ ※ ※ ※ ※
地形的、暗渠的に見てみる為に、昔の地図を並べてみましょ。
東京時層地図の現代の地図(GoogleMap)、高度成長前夜の昭和30~35年、昭和戦前の昭和3~11年、関東地震直前の大正5~10年、明治の終わりの明治39~42年、文明開化の明治9~19年。今昔散歩の江戸時代、東京時層地図の段差陰影5mメッシュ標高。
戦前の地図、浄水場に爆撃みたいな悪さされないように、
地図に嘘を書いていたのかもしれません。
なんとなく。
十二社近辺に行ってみてもわかりますが、標高を見ても解る通り、地図に嘘を書いていたのかもしれません。
なんとなく。
案外がっつり谷になってます。
元々川のあった場所らしいのですが、それを塞き止めて池にしたとか。
また、今昔散歩によると寛文7年(1667年)に神田上水助水堀が掘られたとのこと。
神田上水助水堀が掘られた時に熊野滝が出来たらしいです。
明治になって淀橋浄水場が出来た時に滝は消え、
昭和43年に新宿副都心計画に伴い十二社池が埋め立てられ消滅。
神田上水助水堀もその頃には蓋をされちゃったのかもしれませんね。
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