2011年10月27日木曜日

生き別れの兄と中島飛行機。

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私には生き別れの兄がいます。

私は孤児院で育ったのがですが、兄が私を見つけてくれて、
一人、私のことを養ってくれたのです。
兄は疲れてしまい、白戸家の法則で猫になったのですが、
私は猫になった兄と仲良く暮らしていました。
でも、また悲しい別れが待っていたのです。
そんな設定です。

昔はよくブログにも写真を載せていた兄。兄こと猫
ま、人生色々あってお別れすることになったのですけどね。
その、お別れした先で、兄が失踪したらしいのです。
もう老人で、耳も遠くて、だいぶ痴呆気味。徘徊老人。
その上で、いなくなってしまった。これは心配。
ということで探しに行ってみたりしたのですが、まあ、見つからないです。
どこかの家で、優しく飼われているのならまだいいんだけどさ...


バカっぽい挙動、曲がった尻尾、魔族を表す額のM字。
迷い猫を見かけた人がいましたら、
なにとぞよろしくお願いいたします。


※ ※ ※ ※ ※

無事保護されました。
ご心配おかけしました。

※ ※ ※ ※ ※


でね、私もちょっと、探しに行ってみたのです、兄を。
猫を探すときって、公園や駐車場のひだまりとか、
民家の軒下とか、あとは、暗渠ですよね。暗渠。
ということで、すまない。
暗渠散策の目次はこちら、です。

今回は、中島飛行機川(仮)ですよ、奥さん。

いや、歩いてると、目がってしまうじゃないですか。イッてるし。
明らかに暗渠的なものが続いているので、歩いてみると、公園がありました。
かなーり贅沢に空間をとってある、広い公園。
桃井、原っぱ公園。うん、原っぱっぽい雰囲気。でも手入れの届いた公園。



ここには中島飛行機㈱の東京工場があったようです。
中島飛行機って知りませんでしたが、なんか凄い会社だったみたい。

『エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、
自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、
太平洋戦争終戦までは三菱重工業を凌ぐ東洋最大、
世界有数の航空機メーカーであった。』

おお、凄い。敗戦でGHQに解体され、
その後の日本の自動車産業の元になった、云々。
歴史のある場所みたいですね。


東京時層地図にて、左から現在、昭和30年代、大正の地図。
ということで、この工場で排水に使っていたのかもしれませんね。
ここを勝手に、中島飛行機川(仮)と名付けてしまいましょう。
ちなみに、大先輩リバーサイドさんは桃井支流(仮)とされています。
確かに桃井です。モモーイ。


より大きな地図で 中島飛行機川(仮) を表示

幾つかの支流を伴って、妙正寺川に流れ込んでいます。
先ほどの原っぱ公園の周囲から、最初に見つけた桃井公園の周囲から、
青梅街道と環八の交差する四面道あたりの、支流の支流。
特に四面道の当たりは水道関係のものと思われる施設があります。


イメージ的には、窪地に溜まった水をポンプで排水する施設なのでしょうか。
杉並区のハザードマップをみても、確かに浸水予想が出てます。うむむ。

って、ね。
それはそれ、いいんだけど。
実はそんなに面白みがないかなって、リバーサイドにも話したのですが。

ほぼ舗装されてるし、緑道になっていたりするし。
あんまりクネクネしてない、細い道でもない。若干の高低差くらい。
でも、ちょっと面白いのがありました。
暗渠上の道は歩道になっていることが多いです。車止めされてる。
で、そこから子供が飛び出さないように、杉並区では注意書きがあります。



こんなの。何かの動物と「とまれ」というメッセージ。
これなんて、このスペースに書いてくださいって、
サイズを指定してるチョーク書きが残ってるほど、新鮮なイルカです。
最初、アレってひょっとしたらイルカが死んでるんじゃないかと思ったんですよ。
それくらいの、死んだ目でダブルピースしてる、立派なイルカです。
いや、ダブルピースはしてない。

でも、こういうのって毎月描き直すものじゃないでしょ。
たぶん一度描かれたら、何年も放置ですよね。
これ、だんだん剥がれたり消えたりしていくんです。







もはや、なんのメッセージか判らなくなっています。
見るほうが気を使って、ああ、とまれと言いたいんだな、
これ、きっとライオンだったんだろうなと、推測してしまう、
そんな優しさに支えられている杉並区です。


這々の体で、中島飛行機川(仮)は妙正寺川へ合流します。
合流地点は、妙正寺川の始まる妙正寺公園のすぐそば。
妙正寺池からは、今も豊かな湧水が、あたかも噴水のように噴出しています。



直線上に等間隔、同じ高さに噴出する湧水は、
あたかも電動のポンプで汲み上げられたかのようでした。
(まだ言ってるw)

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