暗渠散策編・目次はこちら。
ということで高円寺川(仮)リベンジ!
時系列的にはこの記事の直後です。
何に対してリベンジなんだって事なのですが、
以前書いた「高円寺と中野の見つからなかった池、二つ。」という記事。
他所の暗渠を回ってきた後、体力も集中力も切れた上で、
「なんかレンガ敷きがあるからそこでいいんじゃない?」みたいな、
好きな人がいるのに他の人に告白されたから付き合っちゃったみたいな、
ひねた私でも好きになれるような素敵な人にはすでに恋人がいるに違いないって、
人間ってふとそういう事ってあるじゃんみたいな胡乱な脳になってしまって、
家に帰って寝込んだ時の散策、そのリベンジ。なんだそれ?
いや、疲れてたのですよ、色々あって。
西町天神ウォーキングの際に、
桃園川緑地には支流サインと推測されるものがあること、
高円寺川(仮)の支流サインがある場所を教わっていたのです。
在るか無いか判らないものを探すのより、
そこに在るって判ってるものを探すほうが楽だよねw
↑
風上にも置けない。
とはいえ、慣れない大人数でのウォーキングで、ちょっと疲れていたし、
なぜかまぶたが腫れて、左目が右目の半分くらいの大きさになってました。
微妙なルックスでの散策。とりあえず全体的な場所はこのような感じです。
赤い場所から赤い場所。北から南へ。
より大きな地図で 高円寺川(仮) を表示
また、地形やその他の情報、写真、東京時層地図の地図は、
前回の記事を参照してみてください。
前置きついでに、今回の記事からある資料を導入しております。
桃園川の源流で有名な、杉並区立郷土博物館分館で購入した、
「杉並区立郷土博物館分館研究紀要別冊 杉並の川と橋」
すごい資料。杉並区の湧水の場所とか番地付きで載ってる。
ほんと、ぜんぜん中野区の資料が集まらない中、これはいい資料。
この資料(杉並の川と橋)からの記述がちょくちょく出てきます。
初めて暗渠を意識した日=桃園川を遡上した日、
行き着いた郷土博物館分館で係員に教えられて、
欲しかったのですけどね、「杉並の川と橋」。
先立つ気配すらなく、先延ばしにしてたの、やっと買いました。
行き着いた郷土博物館分館で係員に教えられて、
欲しかったのですけどね、「杉並の川と橋」。
先立つ気配すらなく、先延ばしにしてたの、やっと買いました。
前置き長いな。ではこの辺で。
下流の桃園川との合流地点は判ってたので、上流から攻めました。
源流はやはり前回怪しいと思った辺り。座・高円寺の脇辺り。
ここには鉄池(村田邸の池)という池があったようです。
池の底が赤くなっていたから鉄池では?という説があって、
村田さんが大根を洗うのに使っていたらしいです。
こんな色だったのかな?けっこう綺麗な水だったのかな?
昔の地図を見ると、鉄池から二本の川が流れていて、
二本の間に田んぼとかあったのでしょうね。取水用と排水用。
でも、ある時期にその真ん中を一本掘って、二つの川を統合。
後々、その一本も蓋をされ、暗渠と化したのが、高円寺川(仮)。
ただ、ちょっと気になるのはその北側の小学校。
高低差を見てると、谷頭はその辺になるし、小学校のちょっと西側が、
ボーリングをするとローム層と礫層の間に粘土層があって、
宙水が出来やすい場所らしい。
もしかしたらもっと昔は小学校の辺りに湧水があったのかもしれない。
今も、小学校の敷地内の西側に、
たぶん井戸水を組みだしてるのであろう場所があります。
で、鉄池の水は低いほう、南側に流れていきます。
もう中央線の線路なので、あれですが、
高円寺駅北口から環七へ通じる道は、この辺りが一番低いです。
でね、あるあるとは聞いていたのですが、やっぱりちょっと探しました。
前回も付近をぐるぐる回ったのですけどね。
うお!!!!
先に数メートル下流で暗渠を発見。左の。なるほど見る感じ暗渠。
では数メートル遡上してみると、右の写真。
なんと暗渠の蓋がすのこです。これは珍しい!
蚊とか湧かないかしら?と思ったのですが、
覗き込んでも水らしきものは見えず。
で、その後、民家と民家の間やマンションの敷地の端を通っていきます。
ある時期から徐々に生活排水を流すようになったのでしょう。
またすのこがあるね。
で、環七に斜めに入っていくように流れていく感じ。
環七を超えたら、環七と平行して南下していきます。
そんな小さな支流、でもやはり川。「杉並の川と橋」によると、
ここまでに鉄池の他に二つの湧水からの水が合流しているようです。
徐々に川幅が広がってきています。
高円寺川(仮)の脇で店舗を営む方に話を聞いてみたのですが、
その女性のころ、昭和30年代にはもう、氾濫することが多いので、
蓋がされていたそうです。なので特に名前も知らず。
西町天神ウォーキングでも名前なんて無いという話を聞けましたし。
なので、高円寺川(仮)の(仮)は仮称の仮。
他の暗渠者の皆様もそういう仮称を使っているので、
私もそれに沿って高円寺川(仮)とさせていただきますよ。
その他の記事に出てくる(仮)もだいたいそんな意味です。
「高円寺川(仮)リベンジ!」といっても、
リベンジが仮なわけではないですからね。
もっと西側にリアル高円寺川が有ると言う話もあります。
たしかに、高円寺駅の西側とか、古地図見ても何か有りそうですし。
桃園川へ合流する直前、橋の遺構があります。
とくに名も無い橋だったんでしょうけどね。
古そうですね。欄干とか無かったのでしょうね。
右の写真の先に見えるのが桃園川との合流地点。
で、桃園川から橋の遺構をみたのがこれ。
タイル?石?でアーチ型の模様が付いているところが、
支流サインでいいのかしら?
でも、それも確定じゃないとの話も聞いたので、
支流サイン(仮)くらいが適当なのかもしれませんが。
まったく高円寺川(仮)とは関係ないのですが、
ここから少し東、桃園川を下った旧谷中橋の場所、
とても可愛い猫がいます。家族なのかな?
親猫と思わしき猫と、子猫たちが3匹までは見たけど、7匹いるとの説もあり。
何度か通っているうちに、寄ってきてくれるようにはなったけど、
家では飼えないしね。餌あげちゃだめだろうし、怒られるし。
近所の人には疎まれているようで、
誰か引き取ってくれればいいのにと言っていました。
ううむ。幸せになってほしいな、猫。
その女性のころ、昭和30年代にはもう、氾濫することが多いので、
蓋がされていたそうです。なので特に名前も知らず。
西町天神ウォーキングでも名前なんて無いという話を聞けましたし。
なので、高円寺川(仮)の(仮)は仮称の仮。
他の暗渠者の皆様もそういう仮称を使っているので、
私もそれに沿って高円寺川(仮)とさせていただきますよ。
その他の記事に出てくる(仮)もだいたいそんな意味です。
「高円寺川(仮)リベンジ!」といっても、
リベンジが仮なわけではないですからね。
もっと西側にリアル高円寺川が有ると言う話もあります。
たしかに、高円寺駅の西側とか、古地図見ても何か有りそうですし。
桃園川へ合流する直前、橋の遺構があります。
とくに名も無い橋だったんでしょうけどね。
古そうですね。欄干とか無かったのでしょうね。
右の写真の先に見えるのが桃園川との合流地点。
で、桃園川から橋の遺構をみたのがこれ。
タイル?石?でアーチ型の模様が付いているところが、
支流サインでいいのかしら?
でも、それも確定じゃないとの話も聞いたので、
支流サイン(仮)くらいが適当なのかもしれませんが。
まったく高円寺川(仮)とは関係ないのですが、
ここから少し東、桃園川を下った旧谷中橋の場所、
とても可愛い猫がいます。家族なのかな?
親猫と思わしき猫と、子猫たちが3匹までは見たけど、7匹いるとの説もあり。
何度か通っているうちに、寄ってきてくれるようにはなったけど、
家では飼えないしね。餌あげちゃだめだろうし、怒られるし。
近所の人には疎まれているようで、
誰か引き取ってくれればいいのにと言っていました。
ううむ。幸せになってほしいな、猫。
2 件のコメント:
おお!!ここ行かれましたか!
namaさんいうところのウッドデッキ(決してスノコではないw)蓋暗渠、ですね。
・・・そういえば「杉並の川と橋」に、書いてらっしゃるような記述ありましたよねえ・・・赤線まで引いたのに忘れてたw今日帰ったら読み返します!
谷中橋の猫にもあえたんですねー。めちゃかわいいですよねえ。この子たちちゃんと冬越せるのかなあと昨夜雨の音を聞きながら思い出しました。
高円寺川(仮)は前から気になってましたから、いずれはリベンジしたかったのです。すの...ウッドデッキw の蓋なんて始めてみました。びっくりです。安価ですむかもしれませんが、どうなんでしょ。
谷中橋の猫、可愛いにも程があります。ちょっと遊んだ後に帰ろうとすると、ついて来ちゃうんですよね。もうたまらんです。野良の宿命で大変な生活だとは思うのですが、彼らが幸多かれと願っております。
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