2010年10月29日金曜日

妙正寺川の野方沼袋支流(くろんぼ川)のような幻を見た。

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暗渠散策編・目次はこちら。
あと写真はクリックすると大きくなりもうす。
それから、私の妄想をソースにした記事なので、
あまり真に受けないでもらいたい。
今日、
中野の歴史民俗資料館行ったんです。歴史民俗資料館。
そしたらなんか人が全然いなくて貸しきり状態なんです。
で、よく見たらなんか中野の歴史とかって、
色々ディスプレイされたりとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
昼間からな、なんか暗渠の資料でもあるかとか思って、
普段来てない資料館なんかに来てんじゃねーよ、私。
入場無料ですよ。勉強になりますよ。
なのに親子連れとか子供とかいないし。
おとな一人で資料館か。
おめでてーな。

ということで、思ったような資料もなく、近所でラーメンを食べ、
さてどうしようかなと。
ブラブラしながら考えてみたのですが、
そういえば気になる場所があったな、と。



今回は青い楕円の場所。これまたきれいな谷。
中央を南北に蛇行しながら東に流れる妙正寺川。
高低差的に、左下で丸くなっている場所はここで記事にしました
右下でYの字みたいになっているのは、ここで記事にしました

とりあえず、いつもボーっと眺めていたのです、この付近の地図。
だって怪しいしね。地図上の北原小の北側あたりの道とか、超怪しい。
そのあたりから等高線に沿って妙正寺川まで、谷あいに沿って、
暗渠感かもしだれまくりのクネクネした道が続いてる。


より大きな地図で 妙正寺川野方沼袋支流 を表示


でもねぇ。
いつもの東京時層地図を見ても、
図書館でコピーさせてもらった古地図を見ても、
明治初期から今日まで、
「これは川です!」って描写が見当たらない。

ちょっとまあ、気にはなっていたわけだからね。
モヤモヤするくらいだったら、近くまで行ったのだから、
現地で見てみましょ。

妙正寺川の南側を、西へ遡りながら歩いていると、
平和の森公園の対岸あたりで、ちょうどそれっぽい合流口がありました。
それっぽいとか言っていてもダメな気もしますがw

 

合流口は、覗ける範囲で、うっすらと右に曲がり、
ちょうどその上の道路と同じ角度に。
その上の道路、川沿いの道路より一段低くなっており、
車なども通れず、暗渠を感じさせる雰囲気も醸し出しています。
では、ここから谷間の一番低いであろうところを探して歩きつつ、
その周りもウロチョロしながら、進んでいきます。



地中に埋まった石や円柱形の何か。
橋の遺構だったらいいな、みたいな。



ブロック塀で間を区切られてるけど、同じ距離、同じ進路の道があるとかね。
そういう面白ポイントは満載なんです。たぶん左側かなぁ。

道すがら、お年寄りに話を聞いてみたのです。
確かにここに川はあったそうです。でもだいぶ昔のこと。
そのお年寄りがこの近辺に来たころにはもうなかったそうです。

 


いくつかの時代で作り足されたブロックの集合体とか、
鳩に関する法律とか、暗渠を思わせるポイント満載です。
しかも、暗渠を思わせるポイントって、他にはアレです、例えば…

 

そう。銭湯とか。でも、その理由がよくわからない。
たぶん銭湯の排水は先述のプールと違って、下水道にするはず。
でも下水道がない時代は、たぶん側溝とかに排水してただろうし。
あと、もしかしたた低い場所のほうが地下水を吸いだしやすいとか、
そういうことがある気もしないでもないですが、ちょっとよく調べてみたいです。

この銭湯、朝日湯は今でも営業してるのかしら。
通りに面した所はコインランドリーを営んでいました。
そういえば暗渠近辺にはコインランドリーやクリーニング屋が多い気も。
排水に関して決まりがあるのかな、そう考えると。
いや、もしかしたら銭湯 → コインランドリーのジョブチェンジが容易なのかな。
わからない。その辺も今後調べることもある気がしないでもない。


あと、よくみかけるものは、学校。ここでは中野区立北原小学校。
学校の裏門?なんか不自然すぎる気が……
で、学校といえばプール。プールの排水は先述の通り。
それから、暗渠上は国有地。まとまった土地活用もできないし、
その周辺は開発しにくいでしょうし、
まとまった大きな敷地が必要な学校のような場合、
暗渠上などを利用されることが多いとか何とか。
詳しくは、
東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検 消えた川をたどる!
にも記述があります。
それと、プール。
猫。斎場(火葬場)などが多いかも。

学校を過ぎると、道路の脇の怪しい緑地に、
側溝のようなものが見えます。



これが連続した暗渠だとして、もうここまで細くなってる。
終わりはもうすぐ感もひとしお。
民家の間を縫うように、
細い不自然な側溝のようなものが見え隠れします。

  

この辺で終わるのかも。
歩いてみた感じ、この近所に公園があって、
その辺りから谷が始まっている気もしますが。

これより北に行くと新青梅街道。その向こうは江古田川。
体感では、分水嶺は新青梅街道より十数メートル南側。

暗渠感はたっぷりなのですが、じゃあそこに川があるのかい?

地形が作られるくらい長いスパンの中では、
湧水があって川があって谷間を作ったのでしょうけど、
人がこの辺を利用するような頃には具体的な川というものはなくて、
谷間に沿ってできた排水溝やどぶ川の積み重ねが、
今回のように一つの暗渠をたどってるように見えるのかな、と。
そんな電波を受信いたしました。
本当にあったらごめんなさいw

怖いので、下水道台帳は見てません(笑)


電波ついでに。
この暗渠の先、もしその分水嶺のほんのちょっと先。
新青梅街道のすぐそばにある公園に、あのじゃぶじゃぶ池があります。



中野区立丸山公園の中、じゃぶじゃぶ池、やっぱり閉鎖中でしたが。
前回のじゃぶじゃぶ池は、私が水源ではと推測した付近にありました。
今回も……?

もし、その分水嶺が新青梅街道と同時期か、
その後の建築や造成などで出来たとしたら、
それ以前は、この辺りに湧水があって、
今回のルートのほうに流れ込んでいたら……

いやー、江古田川に流れ込んでるだろうなぁw

江古田川から今回の暗渠のほうへの用水路は… 無いか。
じゃぶじゃぶ池辺りが水源で、
江古田川に流れる小川があったってのはありかも。
洪水ハザードマップを見る限り、新青梅街道もこの辺が凹んでて、
どちらでもありそうな雰囲気……
ううむ……

つづく。
うそ。


 ※ 追記 ※
くろんぼ川という川があったのではとのこと。
次の記事、「くろんぼ用水(仮)と禅定院川(仮)」に続きます。

20 件のコメント:

リバーサイド さんのコメント...

凄い。暗渠を始めたばかりの方の記事とは思えません。地形の起伏から、暗渠を想像し、探し当てちゃうなんて・・・。
結構、面白そうなポイントなので、今度行ってみたい気がします。

銭湯、立派な暗渠物件です、昔は川二排水していたそうですよ。
暗渠沿いにあるものについては、以前、lotus62さんが取り上げていらっしゃいました。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f7a7.html

それに呼応して私も「川沿いにあるもの」という記事を書いています。
http://pub.ne.jp/sktk4a/?entry_id=2445469

ご覧ください

味噌max さんのコメント...

いやいや、もうまったくの妄想です。今回は本当にそこに川があっても、たぶんたまたまです。
暗渠沿いにあるもの、参考にさせていただきます。助かりますです。

ima さんのコメント...

ぬぉお~!!
こ、これは幻の「くろんぼ川」ではないでしょうか!?

いや、実は自分も河川跡を辿ったわけではないのですが、暗渠以外の趣味としての歴史探索(神社仏閣含)中に、この河川跡の道中の野方4-1と沼袋3-34の間ぐらいに庚申塔があり、気になって図書館で調べた事がありました。

地域資料で調べた所、この庚申塔の南側にくろんぼ川という川が流れており、ここにいるお化けが夜な夜な道行く人を川に引きずり込むという悪さをしたので、地元の人が供養の為にこの庚申塔を建立したという記述がありました。
(当時は「お化け地蔵」とか「くろんぼ川のお地蔵様」とか呼ばれていたそうです)

当時は「へ~、そうだったんだ」というぐらいにしか思ってなかったのですが、今回のブログ拝見しまして、ちょうど河川跡の位置が上記の文献と一致しましたので、1人興奮しておりました(笑)

くろんぼ川の痕跡ですが、「中新井川の今と昔」という本の付録に、明治43年時の改修前の中新井川(江古田川)の詳細地図があるのですが、分水としてもこの「くろんぼ川」は載っていないんですよね。。。

ですので、江戸時代に既に枯渇してしまったのか、もしくは分水としても記載されないぐらい小さな川だった可能性も考えられます。

ただ、水路としては何かしら形が残っていたのではないかな~?と思います(;^_^A


話が前後しますけれども、中野歴史民俗資料館行かれたのですね…。
あそこも、「もう少し中身充実させて欲しいな~」と思う、今日この頃です(爆)

石神井公園にある、練馬ふるさと文化館は今年開館しただけあって、かなりの充実しておりました♪
千川上水を含め、練馬区に流れる河川の詳細もありますし、係員の人で暗渠・河川マニアの方もいらっしゃいましたし。

すぐ側に石神井公園もありますし、この地を収めていた豊島氏(としまえんの名前の由来)の石神井城跡もあって見所が多い場所です。
ちなみにこの豊島氏の豊島㤗経が太田道灌(江戸城を築城した人)と戦をして敗れた場所が、江古田川と妙正寺川の合流地点になります。

余談が長くなりましたが、お時間ある時にでも、覗いてみて下さい(^^ゞ

味噌max さんのコメント...

おおお!くろんぼ川!またすごい名前です!しかも驚きのエピソードですね、お化けとは!お化け、河童の類?黒かったのでしょうか...というか、くろんぼ川に出るお化けなんですよね。川の名前の由来も気になります。

私も図書館で「中新井川の今と昔」の付録の地図だけコピーしておりました。
清谷寺の北側を通り野方村役場まで、何らかの記述があってもいいとは思ったのですが、きれいさっぱりないのが逆に驚きなくらいです。明治初期の地図や、その後の地図にも川の形跡がありません。(妙正寺川と並行するように流れる用水路のようなものが清谷寺の東側にはあったようです)。私も何らかの水路の痕跡のようなものが残っていてほしいと思うのですが...再度訪れてみたいです、ここ。

中野歴史民俗資料館はちょっと、残念な感じもしましたw
小学三年生が遠足で訪れたりするのでしょうか。もうちょっと大人向けの資料も充実させて欲しい気もします。
練馬も川の資料が充実してるのですね...「杉並の川と橋」くらい充実した資料の中野区版もぜひ手に入れたいと思うのですが、なかなかないですよね...

本当に、貴重な示唆、コメント感謝です。このブログ(Google Blogger)は使いやすいのですが、コメント関連はだいぶ面倒くさいです。コメントしていただいている皆様にご迷惑をおかけすることも多々あります。申し訳ない。今後ともなにとぞよろしくです。

nama さんのコメント...

くろんぼ川って名前、気になりますね~w 中野区の文献に「ダイワ川」っていうのがあってそれも気になっていましたが、妙正寺川の別称だというのであまり気にならなくなりましたww

しかすけさんという方も、くろんぼ川を歩いていらっしゃいましたが、
http://suiro.seesaa.net/article/163653771.html
やっぱり幻っぽさがあるみたいですね。「幻」によわいわたしなのでw、いつか行ってみたい・・・!

それにしてもリバーサイドさん同様、この暗渠の探り方、ベテランみたいですね~!って感動をおぼえます。

lotus62 さんのコメント...

すごくいいところを見つけられましたねー!!!
雰囲気あって、すごくいいです。
沼袋のこの合流口だけは見たことあったんですが、その先はこんなになってたんですね!

リバーサイドさんご紹介ありがとうございます。そうそう、私も暗渠ぞいの特徴的なものが気になって、地図に品川用水沿いの銭湯をプロットしたり世田谷を中心としたバスの操車場をプロットしたことがありました。特に操車場はほぼ全てが暗渠(川)沿いにあり、たまげるやら嬉しいやらw 各種暗渠サインは、やはり「水を扱う施設」と「地盤が緩いけどまとまって確保できる土地」というキーワードに収斂できそうな気がします。

ima さんのコメント...

あ、ちゃんとコメント反映されていましたね(汗)
もし、可能でしたら内容被ってるんで、二つ目のコメント削除しちゃって下さい(;^_^A

「中新井川の今と昔」の地図面白いですよね!
あの地図に清谷寺横の用水路も少しだけですが、載ってますし。

そう、それでですね!
くろんぼ川の形跡ですが、らしきものが写っている物がありました!

暗渠人の方々もご覧になっている人が多いとは思いますが、goo地図の古地図というか、航空写真にその姿が確認出来ました!!

http://map.goo.ne.jp/map.php?st=8

このgoo地図の昭和22年当時の航空写真にくろんぼ川と思われる川筋がはっきりと写っているのです!

残念ながら開渠になっているのは、北原小から少し下流からになっているので、中新井川からの分流、または湧水の根拠は掴めないのですが、面白いのはさんかく公園からの下流の流れです!

最初は地形的に見ても、味噌maxさんが辿った川筋で平和の森公園付近の妙正寺川に流れ込んでいると思っていたのですが、goo地図を見ると、さんかく公園下流の森本ビルがある曲り角から、そのまま再び西武新宿線の線路を越えて、沼袋郵便局の脇を通った先に流れが進んでおりました。
そして、その先には暗渠物件でもあります銭湯の「一の湯」があります!

いや、この川筋を見た時に「一の湯」がこの場所にあるのが納得いきました!
位置的に妙正寺川からはちょっと離れていたので、暗渠物件として疑問に思っていたんですよね(^^ゞ

川筋はそこから、沼袋氷川神社の前の線路脇を通り、現在の第十五号橋が架かるところで、妙正寺川に合流してます。

ここがくろんぼ川であるかの最終的な確証は、新たに資料を調べるか、古くからこの地域に住む方に伺うしかありませんが、改めて僕もこの川の痕跡を調べたくなりました♪


…しかし、goo地図では痕跡がはっきりと見れるのに、何で他の地図などに水路跡がないのか、またどこかの水源なのか分水なのか等、ここら辺の幾つかの疑問は残りますね。。。

すいません、また何かいきなり色んな書き込みをしてしまいまして(汗)


自分も新たに調査してみますので、味噌maxさんの新たなご報告お待ちしております!!

味噌max さんのコメント...

味噌です。現在所用で仙台にいます。iPhoneしか持ってきていないので、
コメントの承認等出来ますが、なにぶん長文など入力が難しく、また電波状態も悪いので、レスは帰宅後にまとめてさせていただきます。ご了承くだされ。

マラソンまでには帰りますw

味噌max さんのコメント...

と言いつつ眠れないのでw

皆様へのレスは後日談行わせていただきますが、
取り急ぎ。
先述の「妙正寺川と並行するように流れる用水路」、後の地図では、妙正寺川と環七が交差する辺りから始まり、妙正寺川と並走し、かつ距離をとりながら西武線を超え、沼袋駅を過ぎた辺りで急に南下し、妙正寺川と合流するような経路になっています。くろんぼ用水(仮)と命名しますw
水田の取水などに使われていたのかもしれません。その用水も徐々に上流から暗渠化されています。昭和30年頃の地図だと清谷寺の辺りまでが暗渠化され、清谷寺の辺りで開渠になってます。一の湯もくろんぼ用水(仮)沿いです。
関東大震災以後、この付近の住民が増えてきた時、元祖くろんぼ川が作った谷間に合わせてドブ川として復活したくろんぼ川の下流部分が、農業用水としての役目を終えた暗渠化しつつあったくろんぼ用水(仮)の開渠部分とクロス(または用水が吸収)している時期があるのかもしれません。
出先で全然資料が見れないので妄想ですw くろんぼ用水(仮)は近日中に散策してみます。

味噌max さんのコメント...

nama様
私も色々文献などを探していきたいです。地形から攻めているのは、地形しか情報がないからですw
「くろんぼ川」という名前を知ってから検索をしてみました。同じルートを逆からたどってみて、私の推測や完成も少しは当たっていたのだなと感慨深かったです。

lotus62様
川の痕跡は点在している感じですが、なかなか雰囲気のあるいい行程でした。
私も皆様の暗渠サインを参考にしつつ、自分なりの暗渠サインの記事も書きたいなと思っていたり、いなかったりです。猫以外も探したいです。

ima様
Goo古地図(?)はじめて見ました!感動です!今後参考にさせていただきますです。

しかすけ さんのコメント...

コメントいただいたのにお返事遅くなってしまってすみません。いやーみなさんすごいですねぇ。自分は情報を整理しきれません(笑)

どうしても新青梅街道を超えて・・・と想像したくなりますよね、ここ。でも江古田川がすごく近いのが恨めしいというか。丸山公園側もすごくジメっとしてますしね。

味噌max さんのコメント...

おおお、しかすけ様!コメント感謝です。
ここにコメントしてくださる皆様、とても詳しくてすごいです。感謝感激です。

丸山公園側もじめっとしてますよね。新青梅街道の手前が分水嶺だとは思うのですが、それにしてもたいした標高差でもないですし、つい妄想してしまいますw

あと、しかすけ様のサイトへリンクさせていただきます。よろしくです。

ねこだるま さんのコメント...

1971年に鷺宮1丁目と野方6丁目の間の道沿いの家に生まれた者です。
おっしゃる通りこれはくろんぼ川と呼ばれているもので、私が5歳ごろまでの記憶では、ドブなのにザーザーと音を立てている、妙な場所でした。
もしかしたら、数メートルだけ開渠になっていて、それを見たことがあるような記憶が…
それが、大体10歳になる頃までに、単なる普通の側溝になってしまいました。

味噌max さんのコメント...

ねこだるま様。ほぼ私と同世代ですね。でも私は仙台で鼻水をたらしていたころなので、貴重な証言です。あれだけ立派な谷間を作るくらいですから、歴史や水量は確かなものがあったのだと思うのですが、なにしろ今は図書館や古地図で得れる知識から出しか「くろんぼ川」を重い計ることはできません。ザーザーいうほど水量があったのですね。すごい。
数メートルの開渠はどこからどの範囲だったのでしょうか。なぜくろんぼ川と呼ばれていたのでしょうか。色々お伺いしたかったりもします。今後とも貴重な情報、お教え願えたらと思います。

ねこだるま さんのコメント...

開渠の記憶があるのは、IMG_1494.jpg~IMG_1497.jpgの間だと思います。
もしかしたら、今と同様のU字溝になっていたのかも知れませんが、それにしても…という流量でした。多分これが昭和50年にはまだならない…という時期の状況だと思います。
母の記憶では、そこから30mほど北の辺りで、昭和20年代に笹舟で遊んだとのこと。
川幅1m程度はあったようですが、それ以外には新情報は無しです。
ちなみに、付近の「こうさぎ公園」は元々普通の家のはずなので、騙されてはいけないです。北原児童館のところにあった公園が移転してきたものに過ぎませんので。

味噌max さんのコメント...

元々水源になる場所は沼や湿地帯であることが多く、現在では公園になっていることもあるので、あの公園が怪しいかなとも思っていましたが、ハズレでしたか。なるほどです。
ご母堂が笹舟で遊んだ場所でそれほどの水量があったとのこと。水源がどこになるのか気になります。昭和50年でもそれほどの水量、排水として使われていた以外の何かがあったのでしょうか。うーん。謎が謎を呼びます。
ともかく再度のコメント感謝です。重ね重ね、今後もよろしくです。

ねこだるま さんのコメント...

ぐーぐるマップにて、以下キーワードで検索される場所ですが、本日建物が取り壊されて更地にならんとしています。

35.722959,139.649856

今日の午後10時に通りかかって真っ暗だったので何の観察も出来ませんでしたが…
観察のチャンスなので明日も見てきますが何かわかるかどうか…

なお、先日「新こうさぎ公園は関係ない」と書きましたが、公園横のマンホールの音を聴きに行ったところ、ちょっと騒がしいようです。
もしかしたらこちらに直接流れるようにした結果、川が静かになったということなのかもしれないです。

味噌max さんのコメント...

なるほど、工事は貴重な色々が見れるチャンスだとは思います。
ですが、たぶんクロンボ川の元々の自然な湧水のようなものはもう跡が残っていないと思いますし、現存する水路のようなものは公園から少し西側のあたりから流れだしていて、もしかしたら新青梅街道側を流れるような用水路があったとしたら、底から水を引いていたかも知れませんが、何らかの痕跡が残っている可能性は低いのかもしれません。でも、公園の側の水音といい、気になりますね。下水を整備するに当たって、流路が変わったのかもしれません。
クロンボ川はだいぶ気になるポイントなので、近いうちまた訪れてみたいと思っております。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
この付近に50年以上住んでいます。

くろんぼ川という名前は初耳ですが、北原通りを横切る汚いドブがありました。角に下駄屋さんがあったように記憶していますが、今はありません。川幅は1mに満たないもので、橋はなく、広いドブ、という印象でした。

味噌max さんのコメント...

コメントありがとうございます!
やはり、この川としての最後の姿は生活排水を流すドブだったのだと思います。それでも、「広いドブ」だったのですね。

くろんぼ川という名前も、どの時代の、どの流域での名前だったのか定かではありません。まだまだ調べる余地があります。楽しみです。