2010年10月3日日曜日

中野駅前から神田川方面へ流れる暗渠上散歩。

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どちらかといったら、
このブログは昔からの友人やブログ友達など、
またはiPhoneやPC関係の記事を検索して訪れる人が多く、
暗渠関連の記事って今までのテイストとはちょっと違うのかも。
でも、暗渠で検索してくれる人も増えてきてるし、
誰かは楽しんでくれるかなとも思う。
もうちょっと根気強く書いてみよう。
暗渠の魅力も伝わるかもしれない。

両方の人が私を認知してくれると良いな。
がんばる。

さて、暗渠探索第三弾。
今回も川の名前、わかりません。
「天神川」もしくは「谷戸川」というらしいです。

さて、先の記事、中野駅と新井薬師前の中間あたりから、
妙正寺川へ合流する暗渠の上を散歩いたしました。
ちょっとその時の源流地点の地図をもう一度。
写真はクリックすると大きくなりますよ。


地図は相変わらず素敵なiPhoneアプリ、東京時層地図のものです。うふん。
左、明治9年~19年の地図。中野駅の北辺りに池があって、川が流れてます。
昭和四年に中野駅が周辺が4mほど掘られたとの記述が、
るるぶ中野区」に記述があります。中野通りの辺りですね。
馬車などが通行しやすいためだとか。
で、その中野通りよりも北東、現在でいうライフの西側辺りに、
池なのか泉なのか沼なのか。そしてそこから東へ向かう川があります。
その川の流れに沿って、右の標高地図をみると、現在でも標高が低くなってます。

先の記事では源流が見つからなかったのですが、
さて、これくらいはっきりと池なのか泉なのかが地図に残っていて、
源流は見つかるでしょうか?いや、さすがに駅前、開発されまくって、
ビルばかりです、この辺。もう残って無いよね。
第一ね、私が買い物するスーパーとか、いつも飲んでる立ち飲み屋とか、
まさにこの辺なので、源流を思わせるような痕跡なんて、
あったら気がつかないわけ無いでしょwww

  

ありました(笑)
一回が店舗で、たぶん事務所や住居として利用されている思われるビル。
どうも店舗と店舗の間に隙間があるなぁと思っていたのですが、
入ってみると、ビル中央が中庭のようになっていて、そこに池があります。
お店の方にお伺いしてみたところ、現在は井戸になっていて、
井戸から水をくみ上げ、この池に流れているとのこと。
井戸水で、金魚の繁殖に適していて、とても増えたらしい。
「ここが源流になって川になってるんだぜ!」とは、現在は言えませんが、
武蔵野台地の湧水があったと思われる場所、井戸も作りやすいのでしょう。
たぶん。でも地図上でも場所はバッチリこの辺のはず。

中野駅から徒歩2分以内くらいとは思えないくらい、不思議な雰囲気。
なにやらパワースポットっぽい雰囲気すらかもしだしつつあります。


ということで、このホースが刺さっている蛇口が、今回の暗渠の源流ですw
では、この暗渠上の散歩の行程は、だいたいこんな感じ。


大きな地図で見る
いやね、GoogleMapだと細い裏道みたいなのが、
完璧にフォローされているわけではないし、色々なので、
アバウトに、だいたいこんな行程ってことで。
もちろんね、正確な川の跡なんてわからなくて、
四季折々、水量や天候や気象によって、川の流れも変わっただろうし、
台地から湧き出した水も、湿地帯のような場所で消えたり現れたり。
その上で、人が住み始めて、勝手に川の場所を固定し、
勝手に川の場所を決め、それすら埋め立ててしまってる。
誰のどの時代にとっての川の場所かとか、基本どうでもいいといえばいい。
そのことに思いをはせるのが目的な気すらします。

で、この暗渠、中野駅前から中央線に沿って東へ流れ、
中央線と東西線が分かれる辺りで中央線を超え南下、
すんなり桃園川の暗渠と合流すると思っていたんです。
ところが、大久保通りを超えず、そのまま東へ進路を変えました。
 
左は昭和3~11年くらいの地図。川の上に道があるの判りますよね。
へぇ、ゆってぃの母校で有名な堀越って女子高だったのね。

大久保通りを頂点として、北と南が標高が低くなり、暗渠があることになります。
ああ、また結構歩くことになるな......

このまま、大久保通りを挟んで、桃園川と並走する様に、神田川付近まで。
途中に氷川神社とかあるので、詣でたりしましょ。いい雰囲気ですよ。

桃園川と神田川の合流の記事の昭和30~35年の地図も参照してもらいつつ、
これは、大正5~10年頃の地図。これがまためんどい。

宮園通一丁目と書いてある周辺。その文字の下が大久保通り。
それを挟んで、南が桃園川、北が今回の暗渠。
桃園川は南から来たもうひとつの川(これまた現在は暗渠?)と合流して、
南から北へ流れる、地図の右側に流れる神田川に合流。
(神田川はこの後で先述の妙正寺川が合流)
で、今回の暗渠は......うーん、
なんか途中で桃園川に合流してるのか、桃園川から流れてきているのか......
でも、確実に神田川と並走して北へ流れていっている流れもある......
この辺、謎。でもまあ、その並走している北へ、そのまま行ってみましょ。

川もだいぶ下流なはずなのですが、道は狭く入り組んでいます。
なぜか階段を登る道もありますが、まさかこれ、別の暗渠を遡ってる?
いやいや、そんなわけない、地理的に。うーん。
この階段は登ると東中野の駅。土地を盛ったのかしら?
第一、並走してる神田川は下ってるんだし......

で、この川、このあとフワッと消えます。

かしはぎ(柏木)駅は、後々東中野駅に改名される駅です。
柏木駅の下を通ってる。
神田川の周りの地図記号は田んぼを表しているらしく、
水力電線と書かれた謎の電線の下あたりで消えてます。
現在での中野区立第三中学校の辺りで暗渠っぽさは消えます。

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大きな地図で見る
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仮説(1)
この辺りの神田川を新宿側から覗き込んでいると、大東橋のたもとに、
もしこの川が急に神田川側に流れを変えたら、
流れ込むのがいいような場所に、合流口と思わしきものがある。

前回の妙正寺川に流れ込む暗渠の合流地点を思うと、
こんな感じでも自然なのかなぁ、とか。


仮説(2)
神田川に合流せず、その流れのまま真っ直ぐの方向に少し歩くと、
都の落合水再生センターがあります。もしかしたらここに流れ込んでる?

河川や下水道の水を浄化しているらしい。
詳しい人もいるかもと、お話をお伺いに水再生センターに入ってみたのですが、
どうも都民の日とのことでお休みだったみたいです。
こういう施設や、川を埋めてしまった人間のエゴや、
東京の目に見えない自然や水や力の流れなど、
色々思いをはせると感慨深いなぁとか。
そんなことを考えながら、バスに乗って帰ったわけです。
歩き疲れたw

ということで、時系列的にいくと、
最初に妙正寺川へ流れ込む暗渠を散歩し、高田馬場ですあまを買い
東西線で一度中野に戻り、中野駅前から始まる暗渠沿いを歩き、
帰りのバスの中でミュージックステーションの知らせをみて、
家に帰ってテレビ見たわけでした。
濃厚。

「え?すあまの記事が先かよ!」はこの伏線だったのですw




この川の源流については、下記の記事で追記があります。

10 件のコメント:

元ダンサー さんのコメント...

暗渠で検索してくれる人も増えてきてるという中、申し訳ありません^^;;
以前の記事のすあま。 ローソンで見つけてしまったので、報告したかったの(*^ω^*)

味噌max さんのコメント...

いやいやいや、むしろダンサー様達に申し訳ないと思っての記述ですので...
その、よく判らない話題を欠いてしまってすみませんというくらいの意味です。今後ともよろしくなのです。
すあまおいしかったですか?ぱいぱい型?かまぼこ型?

urma さんのコメント...

いやぁ、もうその消えた川の行く先が気になって仕方ありませんw
川が消えている辺りの西側にある水っぽい表記が気になったりして。
区立ひがしなかの幼稚園のプールに流れ込んでいるというのはどうでしょうw

味噌max さんのコメント...

「川が消えている辺りの西側にある水っぽい表記」は私も気になっているのです。なので、もしかしたら......

仮説(3)
水っぽい表記のところが源流で、ものすごく迂回して神田川に流れ込む、別の暗渠を、私はさかのぼっていたw

nama さんのコメント...

はじめまして。hondaさんのところから、辿ってきました。暗渠さんぽという暗渠ブログを書いている、namaと申します。

わたしは桃園川や杉並を中心に歩いていますが(最近アチコチ行っちゃってますが;)、中野の記事も多いので、味噌maxさんのご近所記事もあると思います。

この暗渠、hondaさんのいうように、天神川や谷戸川と呼ばれていますが、谷戸川が違う部分を指している文献もあることからわたしは天神川と呼んでいます。ところが、地元の方がこの流れを「谷戸川」と呼んでいたので、谷戸川のほうがふさわしいのかもしれません・・・
この暗渠を歩いた時の記事です↓

http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/01/post-7094.html
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/01/post-ed9d.html

それから、ここの水源は、軍用地内にあったという話もあります。(↓の記事の途中に出てくる小文字のところ。)

http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/10/post-41c1.html

それにしても、味噌maxさんが発見された池と井戸、びっくりです!こんなのあったんですね~~。中野の繁華街、よく歩いてるんですけど気づきませんでした。こんど行ってみたいと思います。
あと「すあま」大好きなので気になります!w
長々と失礼しました。

味噌max さんのコメント...

はじめまして!わざわざありがとうございます。

桃園川も場所によって「中野川」になったり、暗渠の名前って案外いい加減で、それがまた魅力かなとも思えますw

等高線を見ると、警察大学校(元の軍当地?)である、区役所のあたりから谷が始まっているのです。ということは、その辺に源流があって、時代によって、地下水の量によって、武蔵野台地側に寄ったり下ったりしていたのかもしれませんね。

源流!と言い切るのは難しいかもしれませんが、井戸を見つけたときにはテンションあがりましたw ライフの向かいにあるライ○オンズプラザ中野の中央部にあります。ぜひ見てみてください。なかなかいい雰囲気ですよ。

namaさんのBlogも拝見させていただきますね!サンクス!

lotus62 さんのコメント...

はじめまして。
namaさんのところから辿ってまいりました暗渠モノですw
中野の池、これは全然気付きませんでしたので、驚きです!こんどぜひ見にいってきます。
今後の記事も楽しみにしています!!!

味噌max さんのコメント...

おお!暗渠ハンター!はじめましてです。よろしくです!

中野駅前の池(というほど大きくはないですが(汗))、見つけた時はテンションあがりましたw
あの井戸の水がそのまま川に流れて...ということではないと思いますが、あのあたりが暗渠の源流っぽい気がしていたので、井戸から水が出やすい地質なのだなぁと。

lotus62さんのサイトも拝見させていただきます。サンクスです!

ima さんのコメント...

はじめまして、namaさんの所から、お邪魔させて頂きました、imaと申します。

この暗渠は、なかなか面白いですよね。
しかし、この井戸は僕も知りませんでした。
今度見に行きます!

ちなみに「中野町誌」の昭和7年当時の橋梁帳には、この流れに沿って架かっていた橋の詳細が載ってます。
例えば中野氷川神社の前には「参宮橋」なる橋が架かっておりました。
これによると当時は谷戸川と記載がありますが、昭和12年の資料ですと在来下水になっておりますが。。。

また新しい情報楽しみにしております!

しかし、iPhoneアプリのこの地図の機能は羨ましいです~!

味噌max さんのコメント...

はじめまして!よろしくです!

まさかこんな家の近所に暗渠があったのかと驚いたものです。
しかもこの井戸、なかなか面白い場所にありました。

例のアプリの地図によると、昭和30年代の地図では、源流から中央線の部分、
氷川神社の少し手前以降が暗渠化されていて、途中だけ開渠のようでした。
もうすでに在来下水という扱いだったのですね...
「参宮橋」も痕跡がないか、もう一度見に行ってみたいです。

ということで今後ともよろしくです!感謝!