さて、今回も懲りもせず暗渠の記事。
一応、記事的には、
『暗渠散策。小沢川。神田川の支流とそのまた支流。』の続きです。
場所的にはこのあたり。
大きな地図で見る
今回は狭いですね。
こことかここの記事に比べて、なんと効率の良いことw
だいたい暗渠探索に出かける時は、ほぼ事前に調べません。
Google Earth + 東京地形地図や、
いつもの素敵な素敵なiPhoneアプリ、東京時層地図などで、
標高図などを見ながら、ああここ谷だなぁとか、谷頭だなぁなどと思いながら、
現地に行って坂を体験したり、古地図を見ながら、散策するわけなんです。
事前に情報を得て先入観を持つのもアレかなという気もしますし。
なので、行って、帰ってきて、記事にするときに後で、
「ああここも見ておけばよかったなぁ」などと思うことも多いです。
※ ※ ※
しかも、最近、
暗渠関係の方々からもコメントや示唆をいただけるようになり、
また、その皆様のBlogを見て気がつくことも多くて嬉しい。
さて、その小沢川の記事、コメントでもいただいたのですが、
どうも上流があるようなのです。なるほどなるほど。
あの厳重に入れないような雰囲気のお寺、
あのお寺の西側から、北西に向かってまっすぐ、
川があるように見えます。
たぶん昔の地図を継ぎ接ぎして、大きな地図にしてる、
その継ぎ接ぎのあたりになるので判りにくいですが、
昭和3~11年の地図、戦前のもの。駅名、変でね?
その継ぎ接ぎのあたりになるので判りにくいですが、
昭和3~11年の地図、戦前のもの。駅名、変でね?
ただ、どうして行かなかったというと、
もともと標高図だけを見て行っていたので、
お寺の池より西がまっ平らだったので、
その池が最上流だと思い込んでいたのかもしれません。
もともと標高図だけを見て行っていたので、
お寺の池より西がまっ平らだったので、
その池が最上流だと思い込んでいたのかもしれません。
じゃ、確かめに行く前に、もう一つ気になっていたこと。
前回の記事で源流感あふれる写真と紹介した中に移りこんでいる井戸。
これって使えるのかしら?30分くらい漕いでたら、水が出るかしら?
びっくり!
一回上下しただけで水が出ましたw
水量、豊富なんですね。
前の写真の、私の人差し指とともに写っている水も、
井戸からソーラーパワーで水を汲んでいるとか。
※ ※
さて、お寺や斎場を南から回りこんで、件の場所に行くと、確かに暗渠。
短いながらも、なかなかの暗渠感。
とも思ったのですが、やはり短い。
すぐ青梅街道へ行き当たりました。
昭和初期の地図によると、どうも青梅街道の手前で終わってる。
その当時から暗渠だったのかしら?
等高線的には青梅街道の向こうかもしれないなぁ、と思いつつ、
その脇にあった古そうなビルから出てきたおじいさんに、
話を聞いてみました。
・ここにはドブ川があったが蓋をした。
・水源や源流というものはなく、このビルなどの生活排水を流している。
すぐ青梅街道へ行き当たりました。
昭和初期の地図によると、どうも青梅街道の手前で終わってる。
その当時から暗渠だったのかしら?
等高線的には青梅街道の向こうかもしれないなぁ、と思いつつ、
その脇にあった古そうなビルから出てきたおじいさんに、
話を聞いてみました。
・ここにはドブ川があったが蓋をした。
・水源や源流というものはなく、このビルなどの生活排水を流している。
とのことでした。
なにやらそのビルや周りの下水道の構造を良く知っている人なので、
偉い人かも。
その聞いた場所にあったこれ、なんだろ?
やっぱり下水道の他に井戸みたいなのもあるのかしら?
さて、家に帰ってから、ちょっと調べてみました。
これは、東京都下水道局の下水道台帳ホームページから。
水路敷と書かれている斜めの小道がそれ。
なにやらそのビルや周りの下水道の構造を良く知っている人なので、
偉い人かも。
その聞いた場所にあったこれ、なんだろ?
やっぱり下水道の他に井戸みたいなのもあるのかしら?
※ ※
さて、家に帰ってから、ちょっと調べてみました。
これは、東京都下水道局の下水道台帳ホームページから。
水路敷と書かれている斜めの小道がそれ。
確かにおじいさんの言っていたとおり、そのビルの生活排水を流しているのかしらね。
K1という記号は『都型組立矩形人孔』とのこと。蓋かも。
青梅街道の向かい側の下水は反対側に流れているので、
ここに合流することはなさそう。
この下水道はこのあと斜めに南の方へ流れていって、
他の下水と合流をしていきながら、斎場の北を通り、
東京都交通局杉並車庫の東を北上、
お寺の北を回って、例のすぐ水の出る井戸の東を南下、
この辺で、例の井戸水とかと合流しているかも。
で、環七を渡り、前回の環七の東にある暗渠に流れ込むようです。
うーん......
もう一つ材料として、いつものiPhoneのアプリ。
明治~大正の頃に、今回の暗渠の形跡が微塵もありません。
それまで楢林だったり果樹園だったり、あまり家のない辺りに、
昭和3~11年の地図によると、斎場(電気火葬場?)と共に川が突然現れ、
昭和30~35年にはすでに暗渠になっていたようです。
あのおじいさん何歳だったんだw
思うのですが、大正の後期か昭和の初期かに、
いろいろな事情で作られた排水用のドブ川が、
まあ色々あって、後々小沢川に流れ込むようになった、と。
上流ではあるけど、源流といった感じではなさそう。
新鏡々池が源流なのかしらね、やっぱり。
前回の記事の通り、湧水のありそうな地形ですし。
とはいえ、今ここで私が推理しても、妄想や電波のたぐいになりそうw
なんにしても、まだまだ調べていきたいと思いまーす。
K1という記号は『都型組立矩形人孔』とのこと。蓋かも。
青梅街道の向かい側の下水は反対側に流れているので、
ここに合流することはなさそう。
この下水道はこのあと斜めに南の方へ流れていって、
他の下水と合流をしていきながら、斎場の北を通り、
東京都交通局杉並車庫の東を北上、
お寺の北を回って、例のすぐ水の出る井戸の東を南下、
この辺で、例の井戸水とかと合流しているかも。
で、環七を渡り、前回の環七の東にある暗渠に流れ込むようです。
うーん......
もう一つ材料として、いつものiPhoneのアプリ。
明治~大正の頃に、今回の暗渠の形跡が微塵もありません。
それまで楢林だったり果樹園だったり、あまり家のない辺りに、
昭和3~11年の地図によると、斎場(電気火葬場?)と共に川が突然現れ、
昭和30~35年にはすでに暗渠になっていたようです。
あのおじいさん何歳だったんだw
思うのですが、大正の後期か昭和の初期かに、
いろいろな事情で作られた排水用のドブ川が、
まあ色々あって、後々小沢川に流れ込むようになった、と。
上流ではあるけど、源流といった感じではなさそう。
新鏡々池が源流なのかしらね、やっぱり。
前回の記事の通り、湧水のありそうな地形ですし。
とはいえ、今ここで私が推理しても、妄想や電波のたぐいになりそうw
なんにしても、まだまだ調べていきたいと思いまーす。
2 件のコメント:
早速、出かけられたんですね。
ダブルの金太郎、私もここしか見たことがありません。
戦前の地図に、小沢川がはっきりと記載されているんですね。
東京時層地図、いいですね。iPhone欲しくなりました。でもauで家族割しているし、10日前に機種変したばかりだし・・・(涙)。
昔はトリプルなどもあったのでしょうか、金太郎。いたずら書きされたり、壊されたりして減っているとしたら、悲しいです。新作追加とかないでしょうかね、杉並区も。アニメ産業の発達した区なので、新キャラに期待したいですw
10日前に機種変となると、数年後にぜひお勧めをしたいです、iPhone。
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